「東洋脳×西洋脳」~ 「仁」の語源

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最近、東洋脳×西洋脳―多極化する世界で生きるヒントという本を読みました。


脳科学者の茂木健一郎さんと、中国文学者の加藤徹さんの対談本。


お互いの専門分野が違うもんだから、自分の知らなかったことには2人とも「えっ、そうなんですか!?」と素直に驚いているところがおかしかったりします。そういう私は全編(へ~~~、そうだったのか)みたいな感じだったのですが。


んで、この本の中で私が一番(へ~~~~)と思ったのが、「仁」という字の語源。


最近は「仁」というドラマがとっても人気を博しているみたいですが、私はテレビは見ないので話の内容はわかりません。


仁といえば、孔子の教えである儒教の中でも根幹をなすもので、すなわち「思いやりの心」ですね。


この「仁」という字は、人偏(にんべん)に数字の「二」と書くわけですが、この本の対談者である加藤徹氏の解説によれば、



「人間が二人並んでいるときに自然に芽生える心が仁だ」



とのこと。



ふ~~~~~ん、



人が二人並ぶと仁が芽生える。



人が二人並んで仁。



うおおお~!知らなかったというか、気づかなかったな~~~、それは。しかし、そんなの初めて聞いたぞ。思いつきで言ってるんじゃないだろうな?


あとちなみに、中国は昔は「私」にあたる単語は100以上あったんだけど、共産主義になってからは、「封建主義的な身分階級や男女の性差を表す言葉は反革命的だ」ってことで、「我(ウォー)」一語になっちゃったんだって。


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東洋脳×西洋脳―多極化する世界で生きるヒント



B型人間の本棚


新潟が資源国になる日

原発があんなことになってしまって、これからの発電やエネルギーをどうしていくかということが、より一層注目されていますね。


さて、先日ネットでこんな記事を見つけました。



稲わらなどから国産バイオ燃料を低コストで製造できる技術を確立



なんでも、稲わらから自動車燃料用のバイオエタノールを製造する技術が確立されたのだそうです。


開発の中心になったのは三菱重工。


同社が稲わらの前処理・糖化工程を行い、白鶴酒造が発酵工程を、関西機械製作が蒸留精製工程を担当したとのこと。


この技術により、バイオ燃料を安定して製造することが可能になり、製造コスト等についても1リットル=90円未満でできる見通しになったらしい。


また、この技術はエタノール用途のみならず、バイオプラスチック製造にも応用ができる見込みだそうだ。



ということはだ、今まで稲を刈り終わった後は、田んぼの肥やしになるか、納豆を包むか、民芸品のわらじ位にしかならなかったあの稲わらが、大変利用価値の高い資源に生まれ変わるかもしれないということじゃないか。


しかも、我が故郷の新潟にはそれこそ稲わらなど無限と言っていいほどにあるし、それはこれからも毎年毎年生え続けてくるものであるし、もし上記の技術が本当に実用的なものであるなら、


これはものすごい新たなエネルギーの

大鉱脈が発見されたということになるの

ではなかろうか?




う~~ん; しかし、なんかそんなにうまい話があるのだろうか、という気がしないではない。


とはいえ、新たな希望の曙光がさしてきたのかもしれない。


その昔、新潟は明治から昭和初期まで、かなりの量の石油を産出したのだ。日本石油(エネオス)の発祥の地は出雲崎であるし。


もしこの「稲わらバイオエタノール」が本当に使えるものになれば、新潟は再び資源供給基地としての地位を確立できる日が来る、かもしれない!?


「きんれいのたま、お持ちしました!」

4月です。春です。新入生、新社会人が、緊張の面持ちで社会にあふれる季節です。


我が職場にも新しい人が来たことや、新年度の決起大会も兼ねて、先日職場の飲み会がありました。場所はよく利用する、東京駅前のチェーン店居酒屋。



その居酒屋に入ると、この4月から配属になったばかりな様子の若者がお出迎え。





「い~らっしゃいませ~~!」


「いらっしゃい ませぇぇぇ~!!」




ものすごく気合の入った、大きな声でのご挨拶(@@;)。

まるで軍隊のよう。名札に「新入社員○○」と名前が書いてあるので、新人はわかります。



新人の背の高い男の子に案内されて、予約していた個室へと向かいます。ところが、


「こちらです」


と連れて行かれたのは、普通のテーブル席。あれ?先にもう来てるメンバーがいるはずなんだけど?


すると、先輩店員がやってきて「申し訳ありません」といい、いつも利用している個室へと案内されました。




宴会が始まりしばらくすると、新人の女の子が鍋の用意をして、持って来ました。


「鍋、お持ちしましたー!」


と、慣れない様子で入ってきました。


ところが、鍋をガスコンロに置こうとしたところで私の飲み物をこぼしてしまい、私の目の前はビショビショに。


「す、すみません。お召し物は大丈夫ですか?」


「お召し物」というほどのモノを召してはいないのだが、幸いテーブル上に収まった。

イヤしかし、あまりにもお約束通りの展開の連続に、なんとなくおかしくなってしまう。粗相があったときの抗弁のために、名札に「新入社員」てわざわざ書いてるんだろうけど。



宴会は続きます。


酒は飲み放題なので、ビールやら日本酒やら焼酎やら、注文したのが次から次へとジャンジャンきます。決起大会ですから、ぶわ~~!っとやらないとね。


そしてまたあるとき、新入社員の男の子がビールのジョッキをたくさん抱えて持ってきてくれました。


個室のふすまをガラッと開けて、ビールのジョッキをたくさん抱えた彼は、声高らかにこう言いました。




「キンレイのタマ、お持ちしましたー!!」



・・・



一瞬、はァ?と思いましたが、すぐに彼がなんと言いたかったのかがわかりました。


私の目の前には、空になったジョッキがあり、そのジョッキには、




「麒麟 端麗<生>」




と、ラベルが貼ってあったからです。



そう、彼は、「キリン タンレイのナマ、お持ちしましたー!」と言うべきところを、





「キンレイのタマ、お持ちしましたー☆!!」




と、一点の曇りもよどみもなく、声高らかに発声してくれたのでした。


これにはもう私のとなりにいた某課長と大ウケ。間違いなく「キンレイのタマ☆」と言ったのです。いや~、近頃こんなにおかしいことはありません。


きっとなあ、(「キリンたんれいのナマ、お持ちしました」って言いなさい)って、言われたんだろうなあ。


でも、「キリンたんれいのナマ」って案外長ゼリフだからなあ。伝言ゲーム、ミスっちゃったんだろうなあ・・・ しかし、なんちゅー言葉を言ってくれるねん。



キンレイのタマ、





キンレイの、タマ☆




ああ、なんという甘美な響き・・・




いろいろ不手際もあったけど、失敗しても、まあわりと許してもらえるのが若者、新人の特権。せいぜいがんばってもらいたいですね。


あ、でもそういえば、ここの飲み放題のビールは、ビールじゃなくて発泡酒だったってことか?


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           キンレイのタマ☆



B型人間のひとりごと



石老山と秋山温泉

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4/10、神奈川県相模原市にある石老山に登ってきました。


詳しいレポートはこちらです。


石老山登山日記

「自由訳 十牛図」と信濃川の津波

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今日は「自由訳 十牛図」という本を元に。


著者は、「千の風になって」の作詞などで有名な新井満さん。


十牛図というのは仏教の中の、禅の古典のひとつです。内容は、アマゾンの書評
を。




さて、私は先日この本を読んだのですが、この本のあとがきの中に、私にとってはとても衝撃的な事実が書かれていました。


新井満さんは新潟市の出身で、昭和39年、高校生のときに新潟地震を地元で被災します。


信濃川河口の石油タンク群が爆発炎上し、火の海となります。


市内を通る昭和大橋は崩れ落ちました。


高校生だった新井さんはその様子を信濃川のほとりで見ていました。


現実とは思えない光景を目にした新井さんは、更に不思議な現象を目にします。


その現象とは、




日本一の大河、信濃川の水が干上がってなくなっていた




というものです。



と、そこへ、海のほうから水が逆流してきました!



・・・・・・



そのときの様子が書かれた文章を、この本のあとがき部分から抜粋して紹介させていただきます。



 1964(昭和39)年、6月16日、私のふるさとである新潟地方を大きな地震が襲った。そのとき私は新潟市内にいて、高校3年生であった。市内の道路はいたるところで隆起陥没し、大地の裂け目から地下水が噴水のように噴き出した。

 日本最長河川の信濃川にかかった昭和大橋は、落橋した。河口に広がる石油タンク群は次々に爆発炎上し、360時間燃え続けた。

 (中略)

 私が通学していた高校の校舎は、信濃川の岸辺に建つ鉄筋四階建であった。私は校舎の最上階にいて、あのマグニチュード7.7の地震にあった。地震直後、信濃川の河水が一瞬干上がり、そこへ日本海の方から海水が津波となって逆流してきた。火攻め水攻めの中を命からがら帰宅すると、我が家は泥水の中に沈んでいた。

 さながら映画の「天地創造」と阿鼻叫喚のパニック&ホラー映画と地獄絵図を、いっぺんに見せられたような思いであった。しかしそれは映画ではなく、まぎれもない現実であったのだ。




・・・・・・・・・



 地震による現実とは思えないような津波と火災の様子は、今回の東日本大震災によって我々も目の当たりにすることとなったわけですが、私にとって、このあとがきの文章が衝撃的だったのは、実は、私も「信濃川の水が干上がった」光景を見たことがあるからなのです。




1983年の5月に、日本海中部地震という地震がありました。秋田県ではそのときの津波で100人以上の犠牲者が出ました。


地震が起きたとき、私は新潟市内の某中学に通う中学1年生で、ちょうどお昼頃でした。


校舎からプールを見ると、プールの水が大きく「ザッパンザッパン!」と波打っていたのを今でもよく覚えています。


地震が起きたのは1983年の5月26日、木曜日でした。


そして次の日曜日、5月29日のこと。


クラスの仲間6、7人と自転車で、新潟市から寺泊までサイクリングに行くことになりました。


そして信濃川のほとりの八千代橋のたもとに来たとき、私たちは驚きべき光景を見ることとなりました。




そのときの様子を、私のHPのB型人間的新潟の投げ釣り:浦浜海水浴場に以前書いたことがあるので、転載します。



 シーサイドラインといえば・・・ということで思い出したことがあるのでここに書き記すことにする(別に浦浜には何の関係もないのだが・・・)。

 私は中学1年まで新潟市内に住んでいて、その中学1年のときにクラスの仲間6、7人で「サイクリングに行こうぜ!」ということになり、思い切ってシーサイドライン経由で寺泊まで行くことにした。中学は万代橋や万代シティに程近い中学だった。


 サイクリングに行ったのは、1983年5月29日(日)のことだ。なぜ覚えているかというと、その頃、日本海中部地震があったからだ。

 5月26日(木)のお昼頃に結構な揺れがあり、学校のプールの水が左右にザブンザブン!とはじけていた光景を今でもよく覚えている。サイクリングに行ったのはその週の週末だった。

 仲間らとH自転車店(仲間の家)に早朝集合し、走り始めた。そしてわりとすぐの、信濃川にかかる八千代橋を渡ろうとしたときのことだ。そこには驚愕の光景があった。


 なんと、あの日本一の大河、信濃川の水が、干上がって無くなっているではないか!記憶違いでも夢を見たのでもないはずだ。河口付近から上流の昭和大橋のほうまで、スッカラカンに水がなくなっていた。水のなくなった信濃川の川底には、大きな50cmくらいの鯉などがピチピチと跳ねていたのを私たちは確かに見た。その光景は、今もってまぶたの裏に焼きついている。

 と、ちょうどそこへ、河口側から水が津波のように押し戻されてくるところだった。水の高さは30センチ~50センチくらいで、案外静かな感じだった。

 河口から押し寄せてきた水は私たちの前を通り過ぎ、魚たちを飲み込みながら関屋分水方面へと流れていった。大自然のスペクタクルを見た思いがした。


 ただ、あのことを思い出すたびに不思議に思うのは、信濃川の上流からも水が流れてくるはずなのに、どうして一時的にもすっかり川の水がなくなってしまったのか?ということだ。地震の前に海の水が引くことがあると聞いたこともあるが、そのような現象の一環だったのだろうか。


 そんな不思議な光景を見たあと、仲間たちとシーサイドラインを走った。シーサイドラインは1990年7月に無料化されたため、1983年当時はまだ有料道路だったはずで、P1の駐車場近くに料金所の跡がある。このページを書きながらそんなことを思い出した。





以上が引用です。


引用文の中にも書いたように、長年私はあの光景を思い出すたび、(あれは夢だったのではないか?)と思い起こすことがたびたびありました。


なにせもう30年近く前のことで、確かに見たはずなんだけれども、記録映像があるわけでもなく、当時の仲間ともすでに連絡を取ることもできず、あのことが本当に現実だったのか、自分自身信じ切れなくなっていたのです。


しかし、今回この本を読んで、やはり地震に絡んでそういう現象が起こることがあって、あの私が見た光景もやっぱり夢ではなかったんだと再確認ができました。


今般起こった東日本大震災においても、岩手県の宮古市では、潮位が下がったあとに大津波がきたそうで、その速度は時速115kmに達したそうです。


普段水があるべきはずのところに水がなくなっていたり、異常に水位が下がったときは、津波の可能性があるので気をつけたほうがいいかもしれません。



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  自由訳 十牛図



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