2008-02-28 00:01:41
前回の日記からの続き。
二つ目は尾形光琳の描いた「紅白梅図屏風」について。この絵は、私は知りませんでした。
まずはじっくりとこの絵を隅々までご覧いただきたいのです。
そこには何が、どんな色で、どのように描かれていたでしょうか。
私には、ただの川と梅の木が描かれている、どこかで見たような日本画にしか見えませんでした。
ところがです。
この絵をプロが解説すると、以下のようになるそうです。
この本の著者で、京都造形芸術大学学長、千住博氏の解説を、この本から一部抜粋させていただきます。ちょっと長いですが。
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日本美術には様々な魅力あふれる作品があります。その中で、ただ一作だけ好きな作品
を選び出し推薦するとなると、私は迷わず尾形光琳の描いた「紅白梅図屏風」をあげます。
「紅白梅図屏風」には、絵画の究極の到達点があります。しかもそこには、光琳自身の人間
ドラマが織り込まれていて、かつその主題や技法は基本的には謎に包まれています。
毎年二月の梅の季節に、「紅白梅図屏風」は収蔵されているMOA美術館できわめて限
られた日数のみ展示されます。国宝に指定されているので、展示期間に制限があるためです。
私はこの十年、ほぼ毎年鑑賞しに出かけているのですが、毎度のことながら、その作品は
圧倒的に美しく、きれいだと感じます。美しいとは五感に訴えかけてくるような包み込まれる
空気感ですし、きれいとはきれいに片付いているという意味です。徹底的に整理されている
にもかかわらず、依然混沌を抱え込んだまま謎に満ちているという感じは、私はこの作品以外、
未だ人類の生み出した芸術作品の中で見たことがありません。換言すれば、それは胸騒ぎを
呼ぶような、官能に訴えてくる画面にもかかわらず、絶対的な静けさを保っているのです。
[中略]
明と暗の対比、梅の静に対し流水の動、写実な梅に対し抽象の河、と様々な両義性をかねそ
なえた画面は、人間が理知とエロス、善と悪、貞淑と背徳を表裏に併せ持つ矛盾した生き物で
あることをも表そうとしています。
[中略]
ここには抽象もなければ具象もありません。全ての境界を超えた、人間普遍のドラマを自然
に託して描いた究極の絵画です。人生を描き、心の暗部にまでふみ込み、しかし美しく端正な
姿として人をとらえつづける姿勢は終始変わらず、画面には花々が咲き河が流れ続ける、まさ
に現世であると同時に彼岸の風景でもあります。この華やかで清楚、しかし同時にこれ以上な
いくらいエロスに満ちた混沌を中心に抱え込む光琳の「紅白梅図屏風」こそ、日本を超えて人
類の絵画芸術の究極の到達点であると私は思っています。
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ふ~ん。そうか、人間の二面性にも通じるのか。そういう意味では、池波正太郎の本のセリフで出てくるフレーズの、
「人間は、いいことをしつつ、悪いこともする。悪いことをしつつ、いいこともする。」
なんて言葉が思い起こされますな。
それにしても、そんなにすごい絵なのか(専門家の言うことにはすぐ影響されるタイプなのです)。
それに、毎年2月頃しか一般公開していないと。試しにMOA美術館のサイトを見たら、折り良くまだ公開中じゃないの。
よ~し!そんなすごいものなら、なんとしてもこの目で現物を見なければ!(いったん興味の火がつくと、行動せずにはいられない困った性分なのです)
というわけで先週末、熱海にあるMOA美術館までひとっ走り行ってきました。
紅白梅図屏風の実物は、写真なんかで見るよりも色褪せている感じで拍子抜けしてしまったのですが、まあ事前に講釈を踏まえて見に行ったので、やっぱりそれなりの感動はありました。ただ、エロスは・・・?
その後この日記を書くためにネットでいろいろ調べてみたら、千住博という人はMOAの美術賞を何度も取ったり、そういえばMOA美術館には千住氏の作品があったりしたし、実はMOAの回し者?というかセールスマン?だったのかしらという気がしてきたりもしました。
でもまあ確かにいい作品は多数ありましたし、本音のところ、丸1日かけてじっくり見たいくらいの作品群だったのですが、子供も飽きてしまったので、後ろ髪ひかれつつ立ち去らざるを得ませんでした。
ああそれから、MOA美術館の創設者は世界救世教という新興宗教の教祖らしいですが、私は無宗教ですし、美術館自体は宗教臭さはありませんでしたので念のため申し添えます。