2008-01-09 00:16:29
先日、東京都は江東区にある亀戸天神にお参りに行ってきました。
ここを訪れるのは実に18年ぶりでした。
ここを訪れたのは、高2の甥っ子の学業お守りをもらうためです。あと1年、悔いのないようがんばってもらいたいという勝手な老婆心からお守りをいただいてきました。
なぜ亀戸天神だったかというと、私の父親が、私の大学受験と弟の高校受験に際してここで合格祈願をしてくれ、何とか2人とも合格することができたからです。
そのお礼参りに弟と2人で亀戸天神にやってきてから、はや18年の月日が過ぎてしまいました。
買ってきたお守りは甥っ子のところに送らせてもらいました。少しでもパワーとなってくれることを祈るのみです。
さて、ちょっと話は変わるのですが、やはり神社がらみの話なのですが。
これもやはり先日、職場の同僚と職場近くの神社に初詣に行きました。私の仕事は職務上勝ち負けがはっきりしているものですから、毎年必勝祈願に行くのです。
そこに行ってから、職場の後輩のSさんに聞かれました。
「お賽銭ていうのは、いくらあげるのがいいんですかねぇ。5円とか、15円とかいいますけど・・・」
確かに、子供の頃は「ご縁があるように5円」とか、「十分ご縁があるように15円」とか、親にいわれた覚えがあります。
いくらが正しいのか、私は知りません。ただ、私自身は近頃はこういう風に考えるようにしています。
神社なりお寺なりに行って、家内安全なり、商売繁盛なり、なにがしかの願い事を心の中で唱えるのではないでしょうか。
そのときの願い事というのは、ほんとに神様なり仏様なりにただお願いするだけのことでしょうか?
私はそうではなく、(今年はこれこれこういうことを目指したい、こういうことをやり遂げたい)という気持ちの区切りをそこでつけるようにしています。
そのときの願掛けが、たとえば5円とか15円では、真剣味が感じられないではないですか。
誤解してもらいたくはないのですが、何もたくさんお金を払えと言うのではないのです。
自分の願いを強く心に刻むことができるだけの賽銭を、決意の代金として払えばいいと思うのです。それは、人によっては千円かもしれませんし、百円かもしれませんし、50円かもしれません。
(あのとき神社であれだけ払ったんだから頑張らなくては)という風に、日々の生活の中で時々思い起こすことができればしめたものではないでしょうか。
そのようなことをSさんに言いました。そして、私は私なりの「決意の代金」を投げ入れてきました。
う~ん、しかしあの程度の代金ではちょっと覚悟が足りないってもんかな・・・