幸福王国ブータンの智恵

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ヒマラヤの裾野、九州よりやや大きいくらいの面積に60数万人が暮らすアジアの秘境ブータン。


ブータンはGNH(Gross National Hapiness:国民総幸福)を国是として掲げています。


これは、経済的な指数で示される物質的な豊かさとは対照的に、精神的な豊かさこそが国民の幸福につながるという考えで、近代化を急がず、自然や伝統文化を守り、みんなで幸せになろうという理念です。



そして、そのブータンでは事実、


国民の97%が幸福であると感じています(2005年調べ)


そのブータンの人々の幸福な暮らし、生き方とはどのようなものであるのか。その一端を、少しだけかいつまんで箇条書きにしてみました。以下、色付きの部分がその内容です。



・人々は民族衣装、建物は伝統建築です。ブータン独自の文化や伝統を大切にしています。国ごとテーマパークであるともいえます。


・ブータンの村には、人々のつながりがあり、お互いの信頼があります。もし私が助けを必要としているならば、彼や彼女は必ず助けてくれる、と信じることができる強い絆です。そして、そういうコミュニティの中に属しているという深い思いが、人々の心のよりどころになっているのです。


・ホームレスはいません。親戚のなかで、(この人はちょっとあれだな)というときは、助けが入ります。


・孤児はいません。誰か親戚縁者がいるはずなので、彼らに養う責任があります。ですから、ブータンには孤児院はありません。


・自殺をする人はいません。


・野生動物は殺しません。犬は道端で仰向けになってくつろいでいます。危害を加えられたことがないからです。


・家の中に花を飾る習慣はありません。花はたくさん咲いています。


・食料は自給自足ですが、ヒマラヤを背後に持つ地域のため日照りが続くことはなく、飢饉で飢えたことはありません。


・貧しくても学べるように、教育費はタダです。病院も無料です。


・ブータンは水の豊かな国で、水道料は都市の一部を除けば無料です。


・国中禁煙です。


・仏教が国教なのでお坊さんは尊敬されています。仏教が国教ですが、仏教以外を信じても大丈夫です。


・初雪の日は、役所は休みになります。


・地下資源があることは確認されていますが、掘り起こしません。鉱山の採掘は土地を徹底的に破壊するため、自然環境の保護をうたうブータンとしては、「それはちょっと・・・」です。


・ケータイ電話は国土のだいたいどこでも通じます。山や谷の多いブータンでは電線の敷設はやっかいなことでしたが、無線基地局の設置は比較的容易であったため、ケータイはあっという間に国中に広まりました。もちろんインターネットを使える環境も、国土のすべてではありませんが、あります。


・役人はワイロと無縁です。ブータンは小さな世界で、悪事はすぐ筒抜けになるからです。また、人々は仏教の教えの中で生きていることから、法律上クリアできたとしても、悪いことをしたというのは自分が一番知っている。だから不正は起こりません。


・アメリカなどの大国とは付き合いません。どちらかの陣営のトップである国との付き合いは、そちらの陣営に組み込まれる危険性があるからです。


・外国資本の工場もほんの少ししかありません。ですので、みんな貧しいままで、景気の大きな変動もありません。


・日本やアメリカで勉強して帰ってきた人たちは、「これからこうするべきだ」と、先進国と同じような取り組みをしようといいます。しかし、ある人々は「私たちはもっと注意深く考慮すべきで、急ぐ必要はない」と説いています。なぜかというと、この国の人々は死にそうでもなく、飢えてもいないし、家がないわけでも、土地を持たないわけでもないからです。


・日本に留学した経験からいうと、日本は便利すぎると思います。お金さえあれば何でも手に入る。タクシーでも電車でもエレベーターでもエスカレーターでも、すごくラクで便利です。ブータンも便利になってほしいと思うけど、日本ほどじゃなくて、ブータンなりに少しずつバランスを取りながらでいいと思います。


・たとえ国際社会に私たちの生活が適応していったとしても、ブータンはブータンであり続けます。私たちの話し方で話し、私たちらしく振る舞い、私たちの食べ方で、私たちのやり方で生活を営んでいきます。


・発展はいつでも「もっと、もっと」を欲しがります。GNHでは「あなたには家族がいて、宗教があり、国があり、さらに何が必要なのですか?じゅうぶんを学ぶべきだ」と説きます。もし私がじゅうぶんであれば、ほかの人と分け合うこともできます。



国民の97%が幸福であると感じています(2005年調べ)。




う~ん、書き出してはみたものの、やはり本に書いてあるほどの重み、味わいは伝えきれないですね。



ブータンの国民は幸福を感じているとはいえ、世界の中でみれば金銭、物質的には貧しいことは間違いありません。多くの国から資金援助を受けて、なんとかやっているのが実状のようです。



ブータンの人の外見は、日本人とよく似ています。日本がブータンと同じことをしようというのは現実的ではないとは思いますが、部分的に取り入れられる考え方もあるのではないですかね。毎年3万人も自殺者がいる日本と自殺者ゼロのブータンと、どちらが豊かであると言えるのでしょうか。



先進国は、今後はブータンを見習う時代に入っていくのではないですかね。「一周してきてまたブータンに戻った」、みたいな。



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幸福王国ブータンの智恵


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梅棹忠夫 語る

梅棹忠夫(うめさおただお)という人を知っていますか。


日本における文化人類学のパイオニアで、著書に「文明の生態史観」、「知的生産の技術」などがある、京大出の学者さんですが、今年の7月に90歳で老衰で亡くなられました。


私は梅棹さんの本を読んだことはなかったのですが、最近売れている、「梅棹忠夫 語る」という本を最近読みました。


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この本は新書で、小山修三という人との対談形式になっているのですが、ちょっと変わっているのです。


新書なのに、対談のオチの部分が、(こんな感じの)大字になっているのです。


新書でこういう文字の大きさの使い分けをしてる本は初めて見ました。文庫では原田宗典とかのお笑い本で見たことあるけど。


しかも、新書なのに、ときどき爆笑。


とても学者とは思えないような、身も蓋もないぶっちゃけた受け答えに笑わされます。まあこの笑いのツボは人によるかもしれませんが。




以下に、本書の一部を引用させていただきます。大字の部分は、本でも大字になっているものです。


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小山 そういえば、専門的なことを書いていて、わからなくなると、むずかしい漢字や言葉を使ってごまかしてしまう。

梅棹 そう、ごまかしや。一番いかんのは、美的にかざることやな。それで、何かいいものができたみたいに思う。スケッチも文章も同じや。

小山 ムダな形容詞が多くなるんですかね?

梅棹 とにかく、文章で一番大事なことは、わかるということ。自分もわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それは、かざってるからや。

小山 かざりは、かっこいいと思っていたけれど、こりゃ、だめだ(笑)



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梅棹 どこかでだれかが書いてたんだけど、「梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない」って。それはわたしに言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。

小山 梅棹の発想は、誰の論文に基づいているのかって(笑)。

梅棹 「単なる思いつきです」って言う人はどこにもいない。それでわたしが「悔しかったら思いついてみい」って言ってやるわけ(笑)。

小山 こんな人を相手にして論争は勝てないな(笑)。




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小山 かつて盛んだった大学山岳部が衰退した原因の一つにしごきがありましたね。

梅棹 わたしがわからんのは、どうして、登山にしごきがなりたつのか、しごきからは一番遠い世界やと思うんやけど。

小山 しごかれるから、次に入ってきた後輩に復讐するんですかね。しゃにむに登頂を目指したり、アクロバティックな技にはまったりする精神が軍隊式にするんでしょうか。

梅棹 いいリーダーがいないからやろうね。下級生が一番重い荷物を背負って歩いている、後ろからピッケルを持った上級生が歩いている、ちょっと下級生が弱ってくると後ろからピッケルで尻をたたく。わたしら三高山岳部にはそんな気風はなかった。新入生からいきなり、先輩にいっさい敬語を使ってはいけない、「さん」もいかん、全部呼び捨てです。

小山 すごい集団ですね。「団結は鉄よりもかたく、人情は紙よりもうすし」というのが合言葉だと聞いています。




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小山 もうひとつ、ずっと気になっている言葉に「宮本武蔵になるな」があります。武蔵は、究極の技を極めた人として、ひとつの理想像だと思うのですが。

梅棹 技を磨くのには反対しない。しかし、剣の道は人殺しの技、そんなことに熱中して、他を顧みないというのは、人間としていささか淋しいのやないか。わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった。




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どどど、ど~ですか、この学者らしからぬ自由奔放な受け答え。しかも、これはほんの一部。権威というものがキライというところも素敵でした。


ワタシ的には、(なんでここを大字にしないんだ)という箇所も少なからずありました。


本の中にも出てくるのですが、我田引水というか牽強付会というか、とにかく自分が見たもの、経験したことから、他にはないオリジナリティを持った持論を半ば強引に展開していく力、これが持ち味だったようです。やっぱりこういう人がいないと面白くないですね。


こういうオモロイおっちゃんがいなくなるのは寂しいことであります。合掌。


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  梅棹忠夫 語る


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良寛和尚逸話選

江戸時代の禅僧の良寛は新潟の出雲崎に生まれ、出家後、若い時期は県外で修行しましたが、その後また越後新潟に戻ってきました。


良寛が新潟で過ごした生活圏は私の実家に近いこともあり、とても親近感があります。


さて、最近良寛和尚逸話選 第2版という本を読みました。

            
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良寛は子供と鞠つきをして遊ぶのが好きだったというような話はよく聞きますが、その他にも様々な奇行で知られたそうで、そんな伝説のような話ばっかりを集めたのがこの本。その中から2つだけエピソードのご紹介です。



1.ある茶会にて

 良寛はあるとき茶会に出かけました。

 他の人と横に並んで座っていたのですが、良寛が鼻をほじると、鼻くそが出てきました。

 鼻くそのやり場に困った良寛は、右どなりの人の衣服でぬぐおうとしたのですが、それを右どなりの人に見咎められてしまったので、引っこめました。

 良寛は今度は左どなりの人の服でぬぐおうとしたのですが、これまた左隣の人にも見つかってしまい、ぬぐうことはできませんでした。

 良寛は仕方なく鼻くそを自分の鼻の穴に戻しました。

 戻したら良寛がくしゃみをして、鼻くそはどこかへ飛んでいってしまいました。



2.ある茶会にて(Part2)

 良寛がまたある茶会に呼ばれました。

 その茶会では、1つの碗に入ったお茶を少しずつ飲んで、次のとなりの人に回していくというやり方でした。


 ところがです。


 となりの人から茶碗を受け取った良寛は、残りの茶を全部飲んで口に入れてしまいました。

 全部口に入れてしまったところで、(あれ?)と、良寛はその場のルールに気がつきました。

 良寛は、口に入れた茶を碗に吐いて戻しました。

 良寛の次の席にいた人は、その一部始終を見ていました。

 良寛から茶碗を受け取った人は、困りながらも



 ナムアミダブツ

  
 と言って、お茶をいただいたそうです。





とまあこんな感じで、やっぱり変わった人だったみたいです。


忘れっぽくて、無邪気で、仏道の該博な知識がありながらも日ごろはまったくそういうことを語ることはありませんでした。


しかし、良寛が達筆なのはものすごく有名だったようで、行く先々で看板やらなにやら書を書いてくれ書いてくれと頼まれます。でも、なかなか簡単には書かなかったようです。


良寛が今でも人気なのがよくわかりました。





上記のような、良寛さんのお茶目なエピソードがいっぱい詰まった面白い本はこちら↓

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良寛和尚逸話選 第2版



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「アラブの格言」

9/11を前に、フロリダの教会の牧師がコーラン(イスラム教の聖典)を燃やす燃やさないでもめていましたが、本日はそんなイスラム教とも絡むお話。

最近、「アラブの格言」という本を読みました。アラブ世界に伝わる格言集を、曽野綾子さんが解説しています。



さすがアラブ・イスラム世界の格言だけあって、そこには戦うことを恐れぬ精神、人間のむき出しの姿が鋭利な刃物で突き刺さって来るような言葉が数多く並んでいました。


たとえばこんな感じ。

・一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ。(アラブの格言)

↑↑↑これは、わりと有名なヤツですね。


ほかにも、


・人に食べ物をやる時は、満足するまでやれ。殴る時は、徹底的に殴れ。(アラブ)

・弱いやつの武器に気をつけろ。(中世アラブ)

・蛇を殺す時には、頭をこなごなにしたことを確かめろ。(イラク)

・名声を失うより、片目を失ったほうがいい。(トルコ)

・隣人に弱みを打ち明ければ、斧でばっさりやられる。(アラブ)

・戦争の時に私を訪ねて来ないようなやつは、そうでない時にも歓迎されないぞ。(アラブ)

・死ぬ予感は、死そのものよりも悪い。(アラブ)

・賢さは力に勝る。(オマーン)

・賢い人は見たことを話し、愚か者は聞いたことを話す。(アラブ)

・あなたに何かくれる男がいたら、そいつはすでにおまえから何かをとっているのだ。(マルタ)

・俺の話を聞けよ、しかし信じるな。(アラブ)

・喋るより聞くほうがもっと知的だ。(トルコ)

・もしもあなたがたくさん持っていたら富を与えなさい。あまり持っていなかったら心を与えなさい。(アラブ)

・友達からもらったものなら、石もリンゴ。(アラブ)

・誰かがおまえに好意を持ってくれたなら、彼が黒人でも好意を返してやれ。誰かがおまえを押したなら、たとえ谷底に面した危険な場所でも押し返してやれ。誰かがおまえを侮辱したなら、ムハンマドの直系の子孫であろうと侮辱してやれ。(アラブ)




これらはほんの一部ですが、アラブならではの考え方が出ている一方、他の世界でも通じるような格言もありました。



さて、私がこの本を読んで、一番好きだった格言は以下のもの。



イスラム世界というのは、一夫多妻が認められているというのは、皆さんご存知の通り。



しかし、果たして一夫多妻というのは、世の男にとってはいかなるものであるのか? その大いなる叡智が、格言に端的に表されていました。



・一人の妻しかいない家庭は繁栄する。


 二人の妻の家庭は廃墟だ。




 ほほう、やっぱり妻は一人なのが平和で、二人だと大変なんだな。「廃墟」というのは金銭的・物質的なものか、あるいは精神的なものか、あるいはその両方なのか。まあとにかく二人だと大変なんだろう。


 んで、二人でも大変なのに、三人になったらどうなっちゃうの?




 三人の妻のいる家庭は・・・

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 ズボンを下ろしてウンコしろ。(レバノン)


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へ? ウンコしろ?


ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!



読み間違いじゃないよな?




「三人の妻のいる家庭は、


ズボンを下ろしてウンコしろ。」(レバノン)




間違いなく書いてある!



ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!



レバノン最強!(笑) 三人の嫁に、次から次へとぐちゃぐちゃ文句を言われて、眉毛がハの字になって、トイレに逃げ込んで、脂汗を流しながら



(ウ~ン; ウ~ン;)



と、うなるしかないアラブの父ちゃんの切ない姿が想像されます。
ぶわっはっはっは!



こういうところに強烈な反応をしてしまうと、ワタクシの品性の下劣さ、幼稚さがバレてしまうではないか。



曽野綾子先生、こういう危険なフレーズは、「爆笑コーナー」とかに入れといてもらわないと、電車の中で爆笑しそうになって危険なんで、お願いしますよ。


日本は一夫一妻制でよかった♪



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アラブの格言


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ニーチェの言葉

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私はいろいろホームページやブログをやってるのですが、一番のメインは新潟の海の投げ釣りのページです。


しかし、仕事上の転勤とはいえ、新潟を離れてはや12年目。それでもなお新潟の海への想いは薄れることはありません。我ながらよく続くなあとも思います。


さて、最近読んだ「超訳 ニーチェの言葉」という本に、こんなことが書いてありました。



 ~美しく見る眼をもつ~

    ときには、遠い視野というものが必要かもしれない。

    たとえば、親しい友人らと一緒にいるときよりも、彼らから離れ、独りで友人
   らのことを想うとき、友人らはいっそう美しい。音楽から離れているときに、
   音楽に対して最も愛を感じるように。

    そんなふうに遠くから想うとき、いろいろなことがとても美しく見えてくるの
   だから。


~遠くから振り返れ~

    今まで関り続けて深く知っていると思うものといったん別れ、離れた場所か
   ら振り返ってみよう。すると、何が見えてくるか。

    ずっと住んでいた町から離れ、遠くに立ったとき、町の中心にある塔が家並
   みからどれほど高くそびえていたのかが初めてわかるものだ。それと同じこ
   とが起こるだろう。




そうですね。遠くから想うから、美しいイメージがこんこんと湧き出てくるのかもしれませんね。新潟に住んでいたら、こんなものはきっと作らなかったでしょう。


さて、これはいったいいつまで続くのやら。


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超訳 ニーチェの言葉


B型人間的新潟の投げ釣り  B型人間の本棚

シェル(SHELL)石油の貝のマークの話~ (「ユダヤ商法」より)

メキシコ湾の石油流出事故は、解決までにはまだだいぶ時間がかかりそうですが、一日も早く事態の収拾を図ってもらいたいものです。


さて、今日はそんな石油にちなんだ話をしたいと思います。



ホタテ貝のマークでおなじみのシェル石油(日本では昭和シェル石油)。

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この会社のマークが 「なぜ貝なのか?」という由来をお話ししたいと思います。


かなり長くなってしまいましたが、よろしければおつきあいください。





シェル石油の創始者であるマーカス・サミュエルは、1853年にロンドンのユダヤ人家庭に生まれました。


彼の父親はロンドンの裏通りを、雑貨を積んだ荷車を押して歩く行商人で、マーカスは11人兄弟の10番目の子供。


マーカスは幼い頃から利発でユダヤ人学校へ通っていましたが、学校にはなじみませんでした。


そこで父親はマーカスが19歳のとき、彼を商売の修業のためにアジアへ一人旅をさせることにします。


父親は乏しい収入の中から、息子に船の三等切符を買って与えました。




1872年、マーカスは一人でロンドンを旅立ちます。行き先は彼の裁量に任されていました。


船はインド、シンガポール、フィリピン、タイ、香港、中国と寄港しましたが、マーカスは最後の訪問港である横浜で降ります。


所持金は5ポンド。今のお金の価値でいえば5万円ほど。


当時の日本はまだ開国したばかりで、東京・横浜近辺でも外国人の数は数百人に過ぎなかったでしょう。


マーカスには頼れる身寄りや友人もなく、資金を借りられるような信用があるわけもありません。


19歳の青年にとっては、前途を思うとさぞ心細く、不安な気持ちであったでしょう。




寄る辺もないマーカスは、横浜をあてどもなく歩き回る日々でした。


そしてあるとき、湘南の海にたどり着きます。


つぶれそうな無人小屋にもぐり込んで、初めの数日を過ごしました。


そこで彼が不思議に思ったのは、毎日たくさんの漁師が浜にやってきて、波打ち際で砂を掘っている光景でした。


よく観察していると、彼らは潮が引いたあとの砂の中の貝を獲っていることがわかりました。

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(2010年4月の、横浜の潮干狩りの様子)





マーカスはある日、貝を獲っていた漁師のあとをつけます。


すると、貝は食用に供されていましたが、貝殻は捨てられてしまうことを発見します。


このときマーカスにある発想がひらめきました。




マーカスはほとんどタダで貝殻を集め、ボタンやカフスボタン、子供用のおもちゃのシャベルや玩具を作り始めます。


また、大型の貝殻の内側に漆を塗って飾り物としたり、さまざまな美しい貝を施した細工物や、きれいな貝殻をちりばめた小箱を作りました。


ただ、これらの多くは、当時の日本にすでにあった民芸品を真似たものに過ぎませんでした。





マーカスはこのようにして作った品々を、ロンドンの父親の元へ送ります。


そして父親はこれらの品物を手押し車に乗せて、ロンドンの町を売り歩きました。




しばらくして父親から連絡がきます。


ボタンや子供用のおもちゃや貝の名札は確かに美しい。だが、買い手が見つからない。


しかし、黒い漆塗りの、東洋の異国情緒がこもった小箱はきわめて反応がよかった、と。


その小箱は、ビクトリア調インテリアの居間にあるピアノやコーヒーテーブルの上に置いて、葉巻やタバコ、小物などを収めるのにおあつらえむきだったのです。


やがて、マーカスが遠い日本から送る商品が大当たりしたため、父親は手押し車の引き売りをやめて、東洋からの輸入商品を売る小さな一軒の商店を開きました。そしてその店は、ほどなく大きな専門店に成長しました。

(このあたりの話は創業時の逸話に過ぎず、父親はすでに1833年には店を開業していたとの話もあります)





一方マーカスは23才で、横浜でマーカス・サミュエル商会を創業します。昭和シェル石油HPの会社案内の沿革は、サミュエル商会の設立から始まります(こちらのページ)。


マーカスは日本でさまざまな商品を作ったり買い付けたりして雑貨をイギリスへ輸出していましたが、それだけでは満足しませんでした。マーカスはまったく新しい分野にこそ大きな可能性があると信じていたのです。





当時、世界では新しい燃料である石油時代が幕を開けつつありました。


アメリカではロックフェラーが石油事業に取り組み、ロシアはロシア国内で油田を開発していました。


日本といえば暖房のための燃料として、炭しか使っていませんでした。


マーカスは軽油に関心を向けます。軽油を灯油に加工し、照明・暖房用として日本と中国向けに売ることを思いつきます。


この頃すでに、マーカスは商売でかなりのまとまった資金を蓄えていました。彼は、ロシアから石油を買い付けることにします。


しかし問題がありました。





当時、石油を船で運ぶのには5ガロン缶が使われていましたが、船主たちは船が汚れるので石油を運ぶのを嫌がっていました。船を洗うのに手数と費用がかかったからです。加えて、5ガロン缶を縄で結ばねばならなかったのも手間でした。




そこでマーカスは、船全体が一つの浮かぶ油槽である石油運搬用の専門船をつくることを思いつきます。


彼は造船の専門家を招いて、設計図を作らせたうえで、イギリスの造船所に発注しました。


こうして、世界最初の「石油タンカー」が建造されました。




さて、最初のタンカーが完成するとき、マーカスは船をなんと命名するか?思案しました。


船名の名付けにはルールが一切なく、何でも自由に付けることが可能だったのです。


それなら、青年時代に日本にまでたどり着いて、横浜の海辺に出て貝を拾った自分の商売の黎明期を記念にしようと思いました。


マーカスはタンカーの一号船を、「ミュレックス(アッキ貝)」と命名しましたアッキ貝は日本の海辺で採れる、もっとも代表的な貝でした。


マーカス自身、このことについて、


「自分は貧しいユダヤ少年として、日本の海岸で、一人で貝を拾っていた過去を決して忘れない。あのおかげで、今日億万長者になることができた」


と書き残しています。






第一号船は、恐れられていたように火災が生じることもなく、他の事故を起こすこともなく、全世界を石油を腹いっぱい積んで順調に走り回りました。


こうして、横浜がシェル石油の発祥の地となったのです。


石油に目をつけたマーカスにとって、望外な成功を導き寄せることになったのは、時代が石油を照明や暖房よりも、はるかに多くの用途のために必要とするようになったからです。マーカスには、先見の明がありました。だから新しい時代がマーカスに微笑んだのです。






その後もマーカスは精力的に事業を拡大していきます。


「ミュレックス」が成功したのに励まされて、八隻のタンカーを次々と発注して建造しました。


マーカスの手によって、「石油タンカー産業」が出現したのです。


マーカスは社名を、「ライジング・サン・ペトロリュウム」(日出る石油)会社と改めました。日本が日出る(いづる)国であることからとったものです。


こうして、横浜の海岸を新しい仕事を求めてさまよった孤独なユダヤ人少年が、世界的な大富豪になりました。


ついにマーカスはヨーロッパとアジアの石油市場を制したのです。






ところがです。





マーカスの石油事業が成功すればするほど、イギリス人のあいだから、ユダヤ人が石油産業で君臨していることに反発が高まってきてしまいました。


追いつめられたマーカスは、やむなくオランダとイギリスのコングロマリットに会社を売却する決断をします。


マーカスは、会社を売らなければならなくなったとき、いくつかの条件を出しました。


その一つは、少数株主といえども、必ずマーカスの血をひいた者が、役員として会社に入ること。


そしてもう一つは、発祥の歴史の象徴として、貝殻のマークを永遠に用いなければならない、というものでした。


それで、シェル石油の営業所には、今日でも必ず貝殻のマークが掲げられているのです。


こうして、マーカスが築いた会社は「ロイヤル・ダッチ・シェル」という名前に改められました。


ロイヤル・ダッチ・シェルは2010年の現在、石油業界の売り上げ規模で米エクソンモービルに次ぎ、世界2位の会社となっています。


また、今日でもロイヤル・ダッチ・シェル社のタンカーには、貝の船名がつけられているそうです。





その後、マーカスはイギリスへ戻ると名士として迎えられ、1902年にはロンドン市長になりました。


シェル石油の貝のマークには、このような由来があるそうです。




シェル石油の貝のマークを見たら、たまには思い出してください。

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この貝は、貧しくも冒険心にあふれたイギリスの若者が、青春の日に湘南の海で拾った貝が由来であるということを。



                  シェル(SHELL)石油の貝のマークの話-END  


   ~参考文献~

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   ユダヤ商法


                       
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「後世への最大遺物・デンマルク国の話」

ワールドカップがもうすぐ始まりますね。我が日本代表は、直近の試合ではふがいない結果で気をもませますが、本番での奮起を期待したいところであります。


さて、日本は予選リーグではデンマークと対戦することになっているはずですが、先日会社帰りに古本屋に立ち寄ったところ、こんな本がありました。


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内村鑑三の「後世への最大遺物・デンマルク国の話」という本。


薄っぺらい本で、サクっと読めそうなので買ってきました。


「後世への最大遺物」と「デンマルク国の話」という2つの話が入っています。デンマルクとはデンマークのこと。


明治27年の著者の講演をまとめたもので、話し言葉で書いてあるので、岩波ですがとっても読みやすいです。




「デンマルク国の話」もなかなかよかったのだけれども、「後世への最大遺物」のほうはさらによかったなぁ。



「後世への最大遺物」の一部を引用します。


「私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。

すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。

ドウゾ私は死んでから天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで何も必ずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである」




うーん、クロちゃんならきっとこの感じ、わかっていただけると思うのですが。



著者が言うには、人が後世に遺すことができる有益なものは3つ。


1.お金  2.事業  3.思想


なんだそうです。


しかし、多くの人々にとって有益となるほどの、これら3つのうちの何がしかを遺すということは、普通の人にはなかなかできることではありません。


しかしながら、これら3つのことよりも、更にもっと大きなもので、しかも誰にでも遺すことができる「最大遺物」があるとも著者は書いています。


その、平凡な我々にも遺すことができて、利益ばかりあって害のない後世への「最大遺物」とは・・・。


よかったら読んでみてください。


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後世への最大遺物・デンマルク国の話/内村鑑三


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「よくわかるキリスト教」

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たまにゃあ読書日記でも。


で、モノは、よくわかるキリスト教/土井かおるという本。




「なんでオマイはそんな本を読んでいるのだ?」



というツッコミを受けそうなタイトルですが、いいんです。私は森羅万象に興味があるんです。それに変わり者なんです。



さて、当然ながら、キリスト教のことなんぞ何にも知らない私は、イエス・キリストとザビエルとサンタクロースくらいしかイメージが湧かないのですが、この本には衝撃の事実がいくつか書いてあったのです。



今日はとりあえず、そうした中からイエス・キリストに関する興味深い事実を3つ紹介しましょう。



その1、イエス・キリストは、姓・名ではない。


ほほぉ、そうだったのか。じゃあイエス・キリストって何? (以下緑色部分は「よくわかるキリスト教」からの引用)


「イエス」というのは、ヘブライ人名の「ヨシュア」のギリシア語訳です。ごくありふ

れた名前で、日本でいえば「太郎」や「一郎」といったところでしょう。

一方「キリスト」という言葉はヘブライ語の「メシア」のギリシア語訳である「クリス

トス」からきており、本来は「油を注がれた者」という意味です。古代イスラエル周

辺地域ではオリーブ油には人や物を清める力があると考え、王や預言者、祭司

を任ずる時などに頭に油を注いでいました。

このことから、「キリスト」は王や預言者、救世主を意味するようになったのです。



つまり、「イエス・キリスト」という言葉は、「イエスはメシア、つまり救い主である」という信仰告白になっているんだとのこと。




その2、西暦0年は、イエスの生まれた年ではない。


な、なにぃ? 西暦0年は、イエス・キリストが生まれた年ではないだと?


西暦はキリスト教の暦です。イエスの生まれた年を紀元元年と考え、紀元前は

Before Christ(キリスト以前)、=B.C、紀元後はAnno Domini(ラテン語で「主の

年から」という意味)=A.Dと表します。

しかし、イエスが生まれたのはユダヤ王ヘロデの治世であり、ヘロデは前4年に死

亡しています。イエスの誕生が前4年以後ということはあり得ないのです。

実際にイエスが生まれたのは、前4~6年頃ではないかといわれており、西暦が

つくられた時に何らかの計算ミスがあったといわれています。




なにぃ~~?計算ミス? オレの仕事じゃあるまいに、なんちゅー仕事しとんねん。




その3、12月25日は、イエスの誕生日ではない。


な、


なな、


な~にぃぃぃ~~!?


12月25日は、イエスの誕生日ではない? よくもそんなことをしゃあしゃあと・・・


12月25日のクリスマスは、イエスの誕生日として祝われていますが、実は

イエスの誕生日はわかっていません。12月25日は、もともとミトラ教の

太陽神の誕生日を祝うローマ帝国のお祭りでした。

3世紀末にキリスト教徒の間でイエスの誕生日として祝われるようになり、

12月25日はイエスの誕生日とされるようになったのだと考えられます。





ということはだよ、


1.イエス・キリストは姓・名ではなくて、

2.西暦0年はイエスが生まれた年ではなくて、

3.12月25日はイエスの誕生日ではない、


ってこと?そんなんアリ?


オイラは約40年に渡って、事実を確かめることなく通説をただ信じて生きてきたわけね。まあ特にそれによる不都合はなかったけど。




とまあこんなことも書いてあったわけですが、これは重箱の隅の話で、内容はちゃんとキリスト教の成り立ちや歴史がわかりやすく書いてありますので、興味のある方はドーゾ。


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よくわかるキリスト教


 HP:B型人間の本棚

ブログの読書日記は「B型人間の本棚」へ

当ブログで書いていた読書日記は、HPの方に引越しして「B型人間の本棚」として再出発することにしました。


                           B型人間の本棚

「読む力は生きる力」


子供に本や絵本の読み聞かせをするとどのような効果があるか。また、子供が読書をすることでどのような学習効果があるかというようなことについて、いろんな例を用いて専門家の見地から様々なことが語られています。


例えば、テレビゲームなどで「冒険ゲーム」の類をプレイするのと、読書において「宝島」、「トムソーヤ」の冒険を読むことは、どのような違いがあるのか。なかなか興味深い考察でした。




うちの子供も、ほっとけばテレビ・テレビゲームの類をやりたがりますからね。しかしあれでは物事を考える力・想像力がまったくおざなりになってしまいますな。まあ現代の子供なんだから多少は仕方ないとも思いますが。


私はもう長いこと週末の図書館通いを習慣にしているのですが、その際には子供向けの絵本なども4、5冊借りてきて、平日寝る前に子供に読んでやっています。音読は「ボケ防止」にも大変効果があるそうなので、私自身の大事な生活習慣でもあります。




巻末に、本書で取り上げられた良書の一覧表も付いています。子育て中のお父さんお母さんにはオススメの本です。


そういう自分は、小学校時代までは「字だけの本」というのは教科書以外ただの1冊も読まなかったのですが。マンガは見ましたけどね。その反動なのか、今はけっこう読んでいます。


本を読んで頭の中で物事を思い浮かべるクセをつけることにより、自分の知識・経験のパーツが組み合わせやすくなるような気がします。



アマゾンのページはこちら  読む力は生きる力:脇明子

木のいのち木のこころ[天]

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本の題名からすると「自然保護」とか、「森は生きている」というような内容を想像しますがそうではありません。


この本の著者は宮大工で、法隆寺をはじめとする日本の代表的な寺院の建築・修繕を行っていた西岡常一という人。この本の肝は、職人としての考え方、職人の育て方、そして職人を束ねる棟梁としての心構え、だと思いました。


う~~~~~~~~~~~~~~~~~ん、久々にいい本を読んだ気がしました。日々の仕事を通じて私が感じていることが、関西弁の語り口調で実にわかりやすく語られていました。語り口調なのでとっても読みやすいです。まさしく宮大工の棟梁に「職人道」についてインタビューしたのをそのまま書き起こした感じ、とでも言いましょうか。


私は会社勤めをしておりながら、ある意味「企業内職人」的な職務に携わっています。そんなこともあって、この本の内容はまさしく、まったく仰るとおりだと、膝をバチン!と叩かんばかりに共感してしまったのです。


そう、そうなんですよね、西岡さん。技術というのは、教わるものではなくて、自分で考え、工夫して、努力して初めて身につくものなんですよね。


そして、木にも人にも「癖」がある。その癖を生かすことが大切で、癖をうまく使うことができれば素晴らしい物、仕事ができる、ということが語られており、なるほどなあと思いました。


これからの少子高齢化の時代の我が国。ありとあらゆる職場で、ベテラン勢がこの本に書かれているような心構えで若手に智恵と技を伝えていくことが大切なのではないですかね。


そのためには、はやベテラン勢の側に入ってしまった感のある不肖この私も、緩みがちなネジをより一層巻きなおしてがんばらねば・・・



日本建築の素晴らしい伝統文化についても語られ、改めて我が国の歴史を思い返しました。著者は、飛鳥時代の木造建築の、あまりに理にかなった適材適所な配材に先人の智恵を感じ、とてもその時代の人たちにはかなわないと述べています。


昔の人もすごかったんだなあ。オイラもすご~く癖のある人間だとは自覚しているけれども、何とかこのヘンテコな人格を有効活用できないものかな・・・




アマゾンのページはこちら



「脳は『歩いて』鍛えなさい」

ブログで日記を書いていると、やはり記録が残っていいもんです。


通勤時ウォーキングを始めて1年半ほど経ったのが、過去のブログを見てわかりました。朝、もしくは会社帰りに、2、30分歩くのを続けています。電車通勤なので、その日の気分で手前の駅で降りたりして歩くのです。


ウォーキングを始めてから、風邪は引かなくなったし、持病の肩こりと腰痛はなくなったし、たまに山登りに行った後でも筋肉痛にならなくなりました。体調面、体力面ではホントに効果があるように実感しています。あと、体重も以前より2キロほど減ったまま安定しています。



そしてちょっと前になりますが、こんな本を見つけました。



                    






脳は「歩いて」鍛えなさいという本ですが、内容は何も難しいことは書いていません。「歩くとこんないいことがあるよ、こういう効果があるよ」というようなことが羅列されています。


かいつまんで書き出してみます。



      ・自信を失ったら、とりあえず歩いてみよう


      ・病気がちなら、とりあえず歩いてみよう


      ・気持ちがうつうつとしたら、とりあえず歩いてみよう


      ・くよくよ思い悩む日は、とりあえず歩いてみよう


      ・むしゃくしゃしたら、とりあえず歩いてみよう


      ・人間関係に思い悩んだら、とりあえず歩いてみよう

 
      ・歩くことは、人間の快感なのだ


      ・「歩くこと」と「ときめき」には共通点がある


      ・歩くだけで脳の全体が刺激される


      ・「物忘れ」が気になり出したら歩き始めよう


      ・「やる気」が失せてきたら歩いてみよう


      ・「食欲」がないときは歩いてみるといい


      ・歩くと「太りすぎ」にも効果がある


      ・歩くと「腰痛」にもよい


      ・「高血圧」の人も歩くとよい


      ・「たばこ」がやめられない人も歩くとよい


      ・音楽を聴きながら歩く


      ・俳句好きなら、吟行をしてみよう


      ・ときには自分と対話しながら歩く


      ・カメラで観察しながら歩く




などなど、これは一部ですが、他にもいろいろ項目がありました。ただ、歩きたくないときに無理して歩くことはない、と力説もされていました。あと、できれば歩行後はストレッチをすべきだとも。


まあ、これからウォーキングを始めてみようかという人向けの、ある意味入門書と言えるかもしれません。




車通勤や自宅が職場の方、あるいは主婦の方も、一日のどこかにウォーキングを取り入れると、健康度がUPすること請け合いですよ!

美術の核心


最近、ちょっと美術に興味があります。気取っているわけじゃあないのですが。


昔の人が残した絵画や彫刻などの美術作品の背後には、どのような時代背景・社会背景があったのか。また、それらの作品を残した人たちは、どのような気持ちでそうしたものを創造したのか、ということに関心が湧くのです。


そして先日、表題の美術の核心(千住博 著)という本を図書館から借りてきて読んでみました。美術への取っ掛かりというか、入門的な本として新聞の広告欄に紹介されていたからです。


新書ですから多少硬めな文章ではありますが、美術の専門用語をあまり用いずに、その魅力や楽しみ方について、古今東西多種多様な文化、歴史を交えながら書かれていました。


Amazonの書評を見ると、美術専門の人には物足りない内容のようですが、まったく美術についての知識はないに等しいワタシ的には十分面白かったです。奥深い美術世界の広がりを感じることができ、人生の楽しみの範疇が広がったことをこの本に感謝しています。いや~、これはすごい趣味の鉱脈を掘り当ててしまったのかもしれない。


この本の中で特に印象に残った項を2つ書きたいと思います。


一つ目は、、ミレーについて。


ミレーといえば、「落穂拾い」が有名です。誰でも一度は見たことがあるのではないでしょうか。あの絵は名画として後世に残る作品となっています。ミレーはあのような農村風景を描いた作品を多数残しました。


しかし、よくよく考えてみると、あのようなヨーロッパの田舎の風景を描いただけの絵が、なぜ歴史的な名画とされているのでしょうか。その理由を、ごく簡単にまとめるとこういうことらしいです。


ミレーが活躍したのは19世紀半ばから後半にかけてですが、ヨーロッパにおいてはそれ以前、絵画の対象として描かれるのは宗教画や神話・歴史画、あるいは王侯貴族の美化された肖像画などしかなかったんだそうです。


それまでは美化するに値しないと思われていた一般庶民の姿や田舎の風景を主題として描く、すなわち「風景画」というジャンルを生み出したのがミレーたちなんだそうです。それ以前の絵画における風景は、宗教画や神話・歴史画のあくまで「背景」に過ぎなかったんだそうです。


ヨーロッパ世界において、ほんの百数十年前まで自由に風景画を描くという文化がなかったことがオドロキでした。


ミレーたちが環境保護活動や芸術活動を行ったフランスの村の名前から、彼らの運動はバルビゾン派と呼ばれているそうです。




二つ目は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」というものについてなのですが、それについては次の日記に書きたいと思います。

大人の見識


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。私のブログはたま~にしか更新されませんが、今年もまたたま~に覗いていただけたら光栄です。


さて、前回書いた日記と寸分たがわぬ正月を新潟で過ごしてまいりましたが、年末年始にゴロゴロしながら何冊か本をナナメ読みしました。表題の大人の見識も読みました。


最近は「○○の品格」とかいうネーミングの本がやたらと出ています。そうした類の本の中にも当たりはずれがあって、単なる著名人物伝を無理やり品格とこじつけただけの本もあったりしました。


この本のネーミングも「品格ブームに乗りたい」という匂いがプンプンするけれども、そこそこ売れてるみたいだしと思って買ってみました。内容のほうは主に戦中、戦後の様々なエピソードが書いてありました。


へ~、と思ったエピソードをひとつ。敗戦国日本の再建復興を引き受けなければならなかった吉田茂元首相が、外相だったときの話。




あるとき、吉田茂はお濠端(ほりばた)の進駐軍総司令部へ行って、


「GHQとはどういう意味ですか」


と聞いたんだそうです。


「General Headquarters の略で」


ともったいぶって答えるマッカーサーに、


「ああ、そうでしたか、私は Go home quickly! の略かと思っていた」


と、言い返したんだとか。



まあこういった類の話や、若輩者の私は初めて知る話題がつらつらと書かれていました。別にこの本を読んだからといって見識が高まるというものではありませんでしたが、おじさんの暇つぶしにはなるかと思います。

痛快!寂聴仏教塾


秋のお彼岸の時期ということで今日はこの本を。痛快!寂聴仏教塾です。


今年のお盆前にいつも行く図書館に行ったらたまたまこの本を見つけ、借りてきて読んでみました。すると、読みやすいうえにとても面白かったんですよ。この面白さは瀬戸内寂聴さんならではと思います。




仏教にまつわるいろんな言葉の意味がわかり、(ああ、あの言葉はそういう意味だったのか)みたいなこともたくさんありました。




例えば「彼岸」という言葉は、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」ということとか。


また、お釈迦様と仏陀と阿弥陀如来様と観音様と仏様って、いったいどう違うのか、とか。


「南無阿弥陀仏」の、阿弥陀仏はいいとして、「南無」ってなんだ?とか。


般若心経には何が書いてあり、どういう教えなのか、とか。


そうした言葉の由来や解説がたっくさんされています。





あともちろん、人間はなぜ悩むのか、どういう風に生きたらよいのか、死んだらどうなるのか、などなど仏教が2500年受け継いできた教えも、優しく、易しく、時にユーモアを交えて書いてあります。




お彼岸の時期には亡くなった先祖や親しかった人に思いを馳せるいい機会ではないでしょうか。


そうした人たちはいつでも私たちをやさしく見守っていてくれるのだそうです。「千の風になって」ですな。




あと、「痛快!寂聴仏教塾」を改題し、文字主体にした新装版がその後寂聴 仏教塾として発売されています。




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