「朝と夜に読む 開運レッスンⅢ」~ゲッターズ飯田

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今日は最近読んでいいなと思った本のご紹介です。


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安岡正篤「一日一言」三部作

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安岡正篤(まさひろ)という人をご存知ですか。




東洋哲学の大家で、平成という元号の考案者と言われている人でもあります。

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(画像はこちらからお借りしました)



安岡さんは多数の本を残していて、安岡さんを慕う人が安岡さんの教えを伝えている本もたくさんあります。


私も何冊か読んだことがあるのですけれども、今日はその中から「安岡正篤 一日一言」シリーズのご紹介です。


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安岡正篤 一日一言  安岡正篤 活学一日一言  安岡正篤 教学一日一言



1月1日から12月31日まで、1ページの半分で1日分の言葉となっていて、読みやすくなっています。読みやすいですが、書いてあることは奥が深いです。


例えば「安岡正篤 一日一言」、8月29日はこんな文章。

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9月1日はこんな文章です。

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この3冊の本に書いてあることだけでもその知恵は広く深く、まるで宇宙のような壮大さがあり、おそらく聞いたことも考えたこともないようなフレーズや視点があるはずです。


言わば人生訓を寄せ集めたものなので、もちろんまじめで真剣な言葉が並んではいるのですが、なんというか自由さというか大らかさというか、決して堅苦しいことばかり書いてあるのではありません。そこが魅力的なところでもあります。


私は最初に買った「安岡正篤 一日一言」はもう3回読んで、今4回目を読んでいるのですが、それでもなお新しい発見があってうならされるばかりです。


昔から知恵をひねり出すのに良い場所として「三上」というのがあって、「馬上、枕上、厠上(ばじょう、ちんじょう、しじょう)」と言われています。すなわち馬の上、寝床、トイレです。今は馬で移動することはないので、さしずめ電車やバス、飛行機などになるでしょうか。


そしてこの三上は、読書をするところとしても適したところであるというのも昔から言われています。


私も通勤の電車や寝る前はもちろんのこと、トイレにもいつも本を置いておきます。この安岡正篤さんの本も置いてあったりもします。

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(我が家のトイレ)



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(いつでも本が置いてあります)


安岡さん自身も、トイレで本を読むことを勧めています。いいのですよ、トイレは本をちょこっと読むのに。



これからだんだん涼しくなっていきます。秋の夜長の枕上に、こんな本もいかがですか。

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安岡正篤一日一言   安岡正篤 活学一日一言   安岡正篤教学一日一言


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「ピカソは本当に偉いのか?」-西岡文彦

今日は最近読んだ本の簡単なご紹介。


モノはこちら。

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ピカソは本当に偉いのか?」-西岡文彦



この、本の題名に「?」をつけてしまうあたり、今風な文章っぽくてとっつきやすいです。


内容のほうもさすがプロの美術評論家の文章だけあって多様な語彙に富んでるんだけど、やはり今風というか、新書ということで一般向けだからなのか、専門用語をなるべく用いずに、しかしながら実に達意の文章を書くあたりは感心させられます。

私の日記の文章のスカスカ感とは、全然違います(当たり前)




さて、内容の方も、冒頭付近から実に身もフタもない疑問文から展開していきます。


こちらはピカソのキュビスムの絵の第一弾として、それまでの絵と時代を画する作品となり、本書の内容の取っ掛かりともなっている、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」という絵です。

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以下、本書の内容より引用(大字は私が勝手にやったことです)。


この「アヴィニョンの娘たち」に限らず、ピカソの代表作とされる絵画の前に立たされた時、多くの人は以下のような疑問を抱かずにはいられないのではないでしょうか。



1.この絵は本当に美しいのか?(どこが上手いのか?)

2.見る者にそう思わせる絵が、どうして偉大な芸術とされるのか?

3.かりに偉大な芸術としても、その絵にどうしてあれほどの高値がつくのか?




ちなみに、この三つの疑問には、それぞれと表裏をなすかたちで以下のような疑問が含まれているのではないでしょうか。



4.ピカソのような絵であれば、誰でも描けるのではないか?

5.そういう絵を偉大とする芸術というものは、どこかおかしいのではないか?

6.そういう芸術にあれほど高値をつける市場も、どこかおかしいのではないか?





ん~~~~~、実に身もフタもない、まさに「その通り!」という素人目線の疑問設定ですね。ここがまず素晴らしいです。



そして、本文の方ではピカソの人生や美術史の変遷を語ることにより、あの時代にあのタイミングであのキュビスムのヘンテコな絵を描くことが、いかに時宜にかなっていたかということが順序だって説明されています。


ピカソは決して、ただ単にへんてこりんな絵を描いたのではなくて、きちんとした計算があり、まずこのキュビスム第一弾の「アヴィニョンの娘たち」を描いたのだとか。しかし、当初はさすがに誰にも理解されず、発表したあの絵を隠してしまったというエピソードは、ピカソにも「恥ずかしさ」という人間らしい一面があったのだなぁという気がしますね。



上記6つの問いに、ちゃんと著者は解答を出しています。ただ、こういったものは正答というものはないものだとも思います。

それでも、ちゃんと納得性があり、腑に落ちる答えを著者の西岡文彦先生は用意しています。



ピカソは生きている間に自分の作品が売れて、莫大な富を築き上げることができた稀有な芸術家だそうですが、そうして芸術的、経済的に大成功を収めたピカソの人生は、果たして幸せなものであったのか?

その点についても、一応著者なりの解答があります。よかったら読んでみてください。





美術とかピカソとかに縁のないアナタに贈る知的興奮の書!

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ピカソは本当に偉いのか?


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ワーク・シフト

今日は久しぶりに読書日記ね。


モノはこちら。

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リンダ・グラットン著、

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉




珍しく、図書館で借りないで買いました。
                               (おお、あのケチが)



しかし、これが活字が小さくてページに字がびっしり埋まっている上に、386ページもあるなかなかの本で、しかも、




(この部分はなくてもいいのではないか?)


(このフレーズはもう4回くらい出てきたのではないか?)





という、社会科学系の大著にありがちな冗長さでもってグイグイ攻め立てるなかなか厄介な書物でありました(読疲)



読書は私の4大趣味(山歩き、キス釣り、読書、HP・ブログ書き)のひとつなのですが、読むのは小説以外ならなんでもという感じです。


んで、ワタクシは、読んだ本の途中の文章で、(これは使えるな)と思ったものを、ケータイでメモして、Gメールに飛ばしておきます。


今回の「ワーク・シフト」は、なかなかメモすることが多かったですね。


メモした文章の最後に「ワーク・シフト」と書いておくと、後日Gメールで「ワーク・シフト」と検索すれば、メモしたものがずらりと並んで、自分の気になったところだけ読み返せるという寸法です。私はこのようにGメールを活用しています。


では、今回メモした文章の一部のご紹介。文章は、本文の趣旨を損なわない程度に変えてあるものもあります。



・時間に追われる日々を​避けるうえで最も有効​なのは、「第三のシフ​ト」だろう。消費をひたすら追求する人生を脱却し、情熱的になにかを生み出す人生に転換することである。



・ハーバード大学医学大​学院の研究チームは、​何千人もの人たちを対​象に、健康と幸福に関する長期の追跡調査を実施した。

それによると、最も幸福感が高いのは、最も裕福な人たちでもなければ、最も大きな業績を成し遂げた人たちでもなかった。

幸福感の高さと最も強い関連性が一貫して認められた要素は、親しい友だちがどの程度いるのかという点だった。

逆に、寂しさを感じている人は概して健康状態が悪く、しかも孤独の弊害は急速に周囲の人たちに伝染することがわかった。

専門家の間でも、肩の凝らない親しい人間関係は精神の健康と幸福に欠かせない要素と考えられてきた。



・学術的研究によれば、なぜ不幸せに感じているのかという研究者の問いに対して、余暇時間にテレビを見て受動的に過ごす時間があまりに長いという理由を挙げる人もいる。



・先進国が大倹約時代に​突入すれば、大量消費社会に終止符が打たれて、消費より、充実した経験を重んじる社会への転換が実現するかもしれない。



・世界の人々が漫然とテ​レビを見て過ごす代わ​りに、「ソーシャルな」活動に積極的に参加するようになる可能性もある。

新しいテクノロジーのおかげで時間に余裕ができれば、余暇時間に思考力と創造性を発揮して、持続可能性を重んじる文化を築こうとする動きが活発になるかもしれない。



・2025年の世界では​、共感の精神に目覚め​て、社会貢献のために自分の時間を捧げようとする人が何百万人も現れる。

ジョンのように貧しい国の人々を助けたいと考える人もいるだろうし、オンライン上に学習素材を公開する活動に自分の時間と専門技能を生かそうとする人もいるだろう。世界の人々を教え導いたり、相談に乗ったりする活動に取り組む人や、特定のテーマで政府や企業の行動を変えさせるためのロビー活動に打ち込む人もいるだろう。

ひとことで言えば、人々の共感の精神が強まり、家族や身近な人たちだけでなく、国籍や文化が異なり、一度も会ったことがない人たちの力になろうとする人が増える。 愛情と仲間意識と社交性と共感が人間の基本的な性質になっていくのだ。



・大量消費から充実した​経験への移行という「​第三のシフト」を実践​した人は、楽しい経験をすること、他の人と一緒に時間を過ごすこと、取り組みがいのある課題に挑むこと、価値あるものを生み出すことを重んじるようになる。



・商売を繁盛させるには​、自分を同業者から差​別化し、評判を高める​ことが不可欠だと、職人たちは誰もが知っていた。

独り立ちした職人は、はじめのうちこそ師匠の仕事をまねするが、じきに自分らしさを打ち出しはじめる。時間をかけて、ゆっくりと自分だけの特徴を磨いていくのだ。



・極めて高度な専門技能​を習得するためには、一万時間以上の訓練が必要だという説もある。



・哲学者のジャン=ポー​ル・サルトルも、仕事​とは意義を見いだすプ​ロセスであると位置づ​けた。

とりわけ、本当の自分らしさと個性を獲得することが重要だと考えていた。

サルトルによれば、私たちの職業生活で重要なのは、高度な専門技能に習熟するための深い経験だという。

自分らしさと個性はお手軽に身につくものではなく、努力して学ばなくてはならないからだ。

人間は自分の行動の総和にほかならず、意義ある人生を送れるかどうかは、意義ある仕事ができるかどうかに大きく左右されると、サルトルは考えていた。

マルクスとサルトルの思想に共通するのは、楽しさとやりがいを見いだせる要素と仕事を切り離せば、機械的な作業を単調に繰り返すだけになり、その人の本質をなす要素の一つが薄まって、自分らしさが失われると考えたことである。



・未来の世界では、グロ​ーバル化が急速に進み​、インターネットを通じて世界中の人々が日々新しい知識を仕入れるようになる。そういう時代に、大勢の人たちのなかで自分を際立たせるためには、なにが必要なのか。

その答えに気づいたのは、成功している企業について詳しく調べたときだった。

やっていることの多くは、成功企業も同業のほかの企業と変わりなかった。おおむね、業界のベストプラクティス(お手本となる手法)を取り入れているにすぎない。

しかし、成功を収めている企業には、それだけではなく、独特な要素、類いまれな要素が必ずあった。私たちは、そういう要素を「署名」と呼んだ。自筆の署名が他人にまねできないように、ライバルにはまねできない特徴的な要素を備えていたのだ。

それは、幹部たちが会議で協力しあう姿勢だったり、人材の採用選考の方法だったり、企業の組織構造や意思決定プロセスだったりする。



・CERN(欧州原子核​研究機構)における科​学者コミュニティの注​目すべき点は、メンバー一人ひとりが自分の貢献を人々に知らしめる方法が確立されていることだ。

実験データの特定部分に関して100人を超す研究者が共同で研究を進めているケースも多く、個人の手柄をアピールするのは難しい。

そこで、最終的に論文を発表するときは、執筆の過程で協力した全員の氏名を明記する。たとえ100人を上回るとしても、一人残らず、アルファベット順に名前を記すのがルールとなる。一人ひとりの貢献を明示することになっているのだ。



・社交的なイメージがあ​って気軽に近づきやす​く、互恵的に振る舞う人というイメージがあるので喜んで友達を紹介したくなる人は、ほかの人を引きつけやすい。

しかし、おそらくそれ以上に重要なのは、面白くて知的興奮を与えてくれる人と思われること、そして、自分にアプローチする方法をほかの人たちにわかりやすく示すことだろう。そのために、ツイッターを活用してもいいし、コメント欄つきのブログを開設してもいいし、動画投稿サイトにメッセージを公開してもいい。今後は、オンライン上で人々が活発に情報を発信するのが当たり前の時代になる。そういう時代には、単に普段と違う世界に足を踏み出すだけでは十分ではない。自分がどういう知的資産と専門性の持ち主かを広く知らしめることにより、人々を引きつけることが不可欠になる。



・未来の世界で自己再生​のコミュニティの土台​をなす要素の多くを、古代ローマの哲学者で政治家でもあったキケロがすでに指摘しているように、私には思える。

友人関係は自然に生まれるものではなく、エネルギーと時間を意識的につぎ込まなければ成り立たないこと。活力源となる友人関係の核をなすのが関心と価値観の共有であること。キケロはこうした点を2000年以上前に指摘していた。

自分と似た人としか友達になれないというのではない。友情が花開くためには、関心と経験を共有している必要があると、キケロは言いたいのだ。友情は、関心と経験の共有という土台の上に生まれて、相互の善意と愛情、対話の深まりを通じて強化されていく、というのである。





とまあ、こういう具合に、メモしとくわけです。実際には読み返さないことも多いのですが。


読み終わった本は、よほど気に入ったものでない限り、図書館に寄贈してしまいます。いつもさんざんタダで借りてるので、少しは貢献しないとね。


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ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉


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50歳を超えても30代に見える生き方

久々に本のご紹介。モノはこちら。


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50歳を超えても30代に見える生き方という本。


この本の著者の南雲吉則氏は「ゴボウ茶」を健康飲料としてススメている人で、メディアにもよく出るらしいです。


私はちょっと前に、この人が書いたゴボウ茶を飲むと20歳若返る! Dr.ナグモの奇跡の若返り術

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という本を読んで、ゴボウ茶のダイエット効果とアンチエイジング効果に興味がわき、実際にゴボウ茶をネットで購入し、飲んでみました。


すると、わずか3週間ほどでズボンがゆるゆるになり、3センチもウェストが縮んだのです。


ウソではありません、ホントなのです。そのあたりのことはこちらのページ(↓)にもうちょっと詳しく書きました。

ごぼう茶を飲んでダイエットとメタボ解消に成功した私の体験記





さて、そのゴボウ茶の南雲先生が最近また出したのが表題の本。


この本の中で紹介されていたことで、「ゴボウ茶を飲むと20歳若返る!」という本の中でも書かれていたのですが、先生は、



野菜や果物は皮ごと食べる



ということを推奨されています。


人間の皮膚と同様、野菜や果物の皮は、外界からの異物を遮断するバリアであるため、次のような効果が期待できるとのこと。


防菌・防虫効果

 表面に細菌やカビがついても中まで腐ることはありません。皮に含まれるポリフェノールには細菌や虫をはねのける効果があります。


創傷治癒効果

 表面を鳥につつかれても、何日かすると再び皮が張っているように、皮の部分には傷を修復する創傷治癒効果があります。


抗酸化作用

 リンゴの皮をむくと空気に触れて酸化し、数分で茶色く変色します。つまり、皮には酸化を防ぐ抗酸化作用があるのです。



てな感じ。



であるからして、



ニキビ・吹き出物、風邪・インフルエンザ、肌荒れ、胃腸トラブル・のどの荒れ、シミ・シワ



などに効果が期待できるとのこと。



う~~~ん; 確かに皮にはなんかいい成分があるのかもしれんが、果たしてそれを人間が食べたからといって、健康面での効果があるもんなんだろうか?



南雲先生は、みかんの皮も、むかないで丸ごと食べるんだそうです。


以下は本からの転載。

驚く人もいるかも知れませんが、私はリンゴの皮はもちろん、ミカンの皮も剝かずにいただいています。


「ミカンの皮なんて食べられるの」といつも聞かれるのですが、キンカンやユズも皮を食べていますよね?マーマレードも皮ごとです。


風邪をひくとカリンの皮の砂糖漬けをお茶にして飲むことがあると思いますが、これは防菌・防虫効果、創傷治癒効果が期待できるからです。


実際、中国ではミカンの皮のことを「陳皮(チンピ)」と呼んで漢方薬として用いてきました。いまも漢方薬の七割ほどにこの陳皮が入っているといわれています。昔の人はこうした皮の薬効を経験的に知っていたのです。





ほほう、みかんの皮が漢方薬だったとは。


しかし、この年になるまで、なぜかみかんの皮を食べたことはない。


アナタ、食べたことあります?




というわけで、私も食べてみることにしました。


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健康にいいことは、何でも試してみるタチなのです。



では、みかんを水でよく洗い流して食べてみましょう。




ガブリ。





もぐもぐ・・・






もぐもぐもぐ・・・






う~~~~ん;






これは、、、

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超~~~~~~苦くてマズイな。 (XX)ダメだこりゃ



このみかんの皮の苦さは、まさに



良薬は口に苦し



ということわざを地で行く苦さ。とても人間が食うものではない。やっぱり普通は食べないわけだ。


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やっぱむかなきゃ普通の人間には無理だよ。動物じゃないんだから。


しかし、健康のためと思えば食べられなくもない、かな・・・






日本国内の野菜、果物であれば、農薬は水で洗えば落ちるそうですが、輸入されたものは農薬が強力だったりするので、皮ごと食べるのはヤメたほうがよいとのことです。



野菜や果物は、皮まで食べる。我が家では、皮まで食べられる食材は、できるだけ食べるようにしてますよ。


というわけで、最近はキンカンなんかも食べてます。

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私の読書履歴はこちら。

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「東洋脳×西洋脳」~ 「仁」の語源

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最近、東洋脳×西洋脳―多極化する世界で生きるヒントという本を読みました。


脳科学者の茂木健一郎さんと、中国文学者の加藤徹さんの対談本。


お互いの専門分野が違うもんだから、自分の知らなかったことには2人とも「えっ、そうなんですか!?」と素直に驚いているところがおかしかったりします。そういう私は全編(へ~~~、そうだったのか)みたいな感じだったのですが。


んで、この本の中で私が一番(へ~~~~)と思ったのが、「仁」という字の語源。


最近は「仁」というドラマがとっても人気を博しているみたいですが、私はテレビは見ないので話の内容はわかりません。


仁といえば、孔子の教えである儒教の中でも根幹をなすもので、すなわち「思いやりの心」ですね。


この「仁」という字は、人偏(にんべん)に数字の「二」と書くわけですが、この本の対談者である加藤徹氏の解説によれば、



「人間が二人並んでいるときに自然に芽生える心が仁だ」



とのこと。



ふ~~~~~ん、



人が二人並ぶと仁が芽生える。



人が二人並んで仁。



うおおお~!知らなかったというか、気づかなかったな~~~、それは。しかし、そんなの初めて聞いたぞ。思いつきで言ってるんじゃないだろうな?


あとちなみに、中国は昔は「私」にあたる単語は100以上あったんだけど、共産主義になってからは、「封建主義的な身分階級や男女の性差を表す言葉は反革命的だ」ってことで、「我(ウォー)」一語になっちゃったんだって。


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東洋脳×西洋脳―多極化する世界で生きるヒント



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「自由訳 十牛図」と信濃川の津波

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今日は「自由訳 十牛図」という本を元に。


著者は、「千の風になって」の作詞などで有名な新井満さん。


十牛図というのは仏教の中の、禅の古典のひとつです。内容は、アマゾンの書評
を。




さて、私は先日この本を読んだのですが、この本のあとがきの中に、私にとってはとても衝撃的な事実が書かれていました。


新井満さんは新潟市の出身で、昭和39年、高校生のときに新潟地震を地元で被災します。


信濃川河口の石油タンク群が爆発炎上し、火の海となります。


市内を通る昭和大橋は崩れ落ちました。


高校生だった新井さんはその様子を信濃川のほとりで見ていました。


現実とは思えない光景を目にした新井さんは、更に不思議な現象を目にします。


その現象とは、




日本一の大河、信濃川の水が干上がってなくなっていた




というものです。



と、そこへ、海のほうから水が逆流してきました!



・・・・・・



そのときの様子が書かれた文章を、この本のあとがき部分から抜粋して紹介させていただきます。



 1964(昭和39)年、6月16日、私のふるさとである新潟地方を大きな地震が襲った。そのとき私は新潟市内にいて、高校3年生であった。市内の道路はいたるところで隆起陥没し、大地の裂け目から地下水が噴水のように噴き出した。

 日本最長河川の信濃川にかかった昭和大橋は、落橋した。河口に広がる石油タンク群は次々に爆発炎上し、360時間燃え続けた。

 (中略)

 私が通学していた高校の校舎は、信濃川の岸辺に建つ鉄筋四階建であった。私は校舎の最上階にいて、あのマグニチュード7.7の地震にあった。地震直後、信濃川の河水が一瞬干上がり、そこへ日本海の方から海水が津波となって逆流してきた。火攻め水攻めの中を命からがら帰宅すると、我が家は泥水の中に沈んでいた。

 さながら映画の「天地創造」と阿鼻叫喚のパニック&ホラー映画と地獄絵図を、いっぺんに見せられたような思いであった。しかしそれは映画ではなく、まぎれもない現実であったのだ。




・・・・・・・・・



 地震による現実とは思えないような津波と火災の様子は、今回の東日本大震災によって我々も目の当たりにすることとなったわけですが、私にとって、このあとがきの文章が衝撃的だったのは、実は、私も「信濃川の水が干上がった」光景を見たことがあるからなのです。




1983年の5月に、日本海中部地震という地震がありました。秋田県ではそのときの津波で100人以上の犠牲者が出ました。


地震が起きたとき、私は新潟市内の某中学に通う中学1年生で、ちょうどお昼頃でした。


校舎からプールを見ると、プールの水が大きく「ザッパンザッパン!」と波打っていたのを今でもよく覚えています。


地震が起きたのは1983年の5月26日、木曜日でした。


そして次の日曜日、5月29日のこと。


クラスの仲間6、7人と自転車で、新潟市から寺泊までサイクリングに行くことになりました。


そして信濃川のほとりの八千代橋のたもとに来たとき、私たちは驚きべき光景を見ることとなりました。




そのときの様子を、私のHPのB型人間的新潟の投げ釣り:浦浜海水浴場に以前書いたことがあるので、転載します。



 シーサイドラインといえば・・・ということで思い出したことがあるのでここに書き記すことにする(別に浦浜には何の関係もないのだが・・・)。

 私は中学1年まで新潟市内に住んでいて、その中学1年のときにクラスの仲間6、7人で「サイクリングに行こうぜ!」ということになり、思い切ってシーサイドライン経由で寺泊まで行くことにした。中学は万代橋や万代シティに程近い中学だった。


 サイクリングに行ったのは、1983年5月29日(日)のことだ。なぜ覚えているかというと、その頃、日本海中部地震があったからだ。

 5月26日(木)のお昼頃に結構な揺れがあり、学校のプールの水が左右にザブンザブン!とはじけていた光景を今でもよく覚えている。サイクリングに行ったのはその週の週末だった。

 仲間らとH自転車店(仲間の家)に早朝集合し、走り始めた。そしてわりとすぐの、信濃川にかかる八千代橋を渡ろうとしたときのことだ。そこには驚愕の光景があった。


 なんと、あの日本一の大河、信濃川の水が、干上がって無くなっているではないか!記憶違いでも夢を見たのでもないはずだ。河口付近から上流の昭和大橋のほうまで、スッカラカンに水がなくなっていた。水のなくなった信濃川の川底には、大きな50cmくらいの鯉などがピチピチと跳ねていたのを私たちは確かに見た。その光景は、今もってまぶたの裏に焼きついている。

 と、ちょうどそこへ、河口側から水が津波のように押し戻されてくるところだった。水の高さは30センチ~50センチくらいで、案外静かな感じだった。

 河口から押し寄せてきた水は私たちの前を通り過ぎ、魚たちを飲み込みながら関屋分水方面へと流れていった。大自然のスペクタクルを見た思いがした。


 ただ、あのことを思い出すたびに不思議に思うのは、信濃川の上流からも水が流れてくるはずなのに、どうして一時的にもすっかり川の水がなくなってしまったのか?ということだ。地震の前に海の水が引くことがあると聞いたこともあるが、そのような現象の一環だったのだろうか。


 そんな不思議な光景を見たあと、仲間たちとシーサイドラインを走った。シーサイドラインは1990年7月に無料化されたため、1983年当時はまだ有料道路だったはずで、P1の駐車場近くに料金所の跡がある。このページを書きながらそんなことを思い出した。





以上が引用です。


引用文の中にも書いたように、長年私はあの光景を思い出すたび、(あれは夢だったのではないか?)と思い起こすことがたびたびありました。


なにせもう30年近く前のことで、確かに見たはずなんだけれども、記録映像があるわけでもなく、当時の仲間ともすでに連絡を取ることもできず、あのことが本当に現実だったのか、自分自身信じ切れなくなっていたのです。


しかし、今回この本を読んで、やはり地震に絡んでそういう現象が起こることがあって、あの私が見た光景もやっぱり夢ではなかったんだと再確認ができました。


今般起こった東日本大震災においても、岩手県の宮古市では、潮位が下がったあとに大津波がきたそうで、その速度は時速115kmに達したそうです。


普段水があるべきはずのところに水がなくなっていたり、異常に水位が下がったときは、津波の可能性があるので気をつけたほうがいいかもしれません。



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  自由訳 十牛図



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遠藤ケイの田舎暮らしは愉快だ!

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今日は、遠藤ケイの田舎暮らしは愉快だ!という本のご紹介。


著者の遠藤ケイ氏は新潟県三条市の出身で、現在は三条市の旧下田村の、笠堀という山奥の人里離れた一軒家に住んでおられます。


この旧下田村は私の実家のある市のとなり村で、氏の住んでいる近くには笠堀ダムというダムがあり、中学時代にはクラス仲間と自転車で釣りに出かけたりしました。


この本は、著者が田舎暮らしをする中で、身の回りにある動植物や生活道具などについて語った本です。著者はいろんな生活道具を自作してしまいます。


う~ん、こういう暮らし、いいなあ。そしてまた、文章がいい。田舎暮らしのことを書きながら、ほろっとさせる。

こういう文は、私の中のどこを探しても出てきません。やはりプロの書く文章は味わいがあります。



本のなかから、「アユ」の項を一部抜粋して紹介させていただきます。


 春先の登りアユの奇漁を得意とする名人もいる。これは、

まだ水が冷たい川に下半身裸になって浸かる。下流に向

かって両足をVの字に広げて座る。そのままじっと待って

いると、アユが開いた足の内側を伝って上がってきて、股

の所でツンツン突っつく。そこを素早く手づかみにする。

うっかりすると、間違えて自分のイチモツを力いっぱいた

たいてしまう。これを「アユのチンたたき漁」という。実

に品性野蛮な漁ではあるが、邪気のない童の遊びに似て

楽しい。




う~~ん、チンたたき漁か。機会があったら、チンをたたかないようにやってみたい。



この本では、こんなことも書かれています。


 雪国では、雪に閉ざされる冬の間、薄暗い家の中でじっ

と耐えていると思うのは間違いだ。また、東北地方の人間

は、総じて寡黙で性格が暗いというのも偏見だ。

 雪国の人間は、本当は底抜けに明るい。境遇を逆手に

とって遊びに転化してしまう、したたかさがある。厳し

い自然を相手に落ち込んでいたら、一日も生きていくこ

とはできない。




うむ、確かに「北国の人間が総じて寡黙で性格が暗いわけではない」、というのは当たっているかもしれない。しかし、、、




>「雪国の人間は、本当は底抜けに明るい」





というのは、





ブラジルとかイタリアじゃないんだし、どうかな?




とも思うのですが。私自身は明るい性格だと思うけど、雪国だっていろんな人がいます。




私のコメントはどうでもいいんですが、単純に、雪国の、山奥の暮らしの春夏秋冬が書かれたこの本を読むと、こんな暮らしがしてみたくなります。田舎はええなぁ。



遠藤ケイさんの炉辺夜話しが聞けるそうです。こちら→NPOしただテラ小屋



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遠藤ケイの田舎暮らしは愉快だ!


幸福王国ブータンの智恵

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ヒマラヤの裾野、九州よりやや大きいくらいの面積に60数万人が暮らすアジアの秘境ブータン。


ブータンはGNH(Gross National Hapiness:国民総幸福)を国是として掲げています。


これは、経済的な指数で示される物質的な豊かさとは対照的に、精神的な豊かさこそが国民の幸福につながるという考えで、近代化を急がず、自然や伝統文化を守り、みんなで幸せになろうという理念です。



そして、そのブータンでは事実、


国民の97%が幸福であると感じています(2005年調べ)


そのブータンの人々の幸福な暮らし、生き方とはどのようなものであるのか。その一端を、少しだけかいつまんで箇条書きにしてみました。以下、色付きの部分がその内容です。



・人々は民族衣装、建物は伝統建築です。ブータン独自の文化や伝統を大切にしています。国ごとテーマパークであるともいえます。


・ブータンの村には、人々のつながりがあり、お互いの信頼があります。もし私が助けを必要としているならば、彼や彼女は必ず助けてくれる、と信じることができる強い絆です。そして、そういうコミュニティの中に属しているという深い思いが、人々の心のよりどころになっているのです。


・ホームレスはいません。親戚のなかで、(この人はちょっとあれだな)というときは、助けが入ります。


・孤児はいません。誰か親戚縁者がいるはずなので、彼らに養う責任があります。ですから、ブータンには孤児院はありません。


・自殺をする人はいません。


・野生動物は殺しません。犬は道端で仰向けになってくつろいでいます。危害を加えられたことがないからです。


・家の中に花を飾る習慣はありません。花はたくさん咲いています。


・食料は自給自足ですが、ヒマラヤを背後に持つ地域のため日照りが続くことはなく、飢饉で飢えたことはありません。


・貧しくても学べるように、教育費はタダです。病院も無料です。


・ブータンは水の豊かな国で、水道料は都市の一部を除けば無料です。


・国中禁煙です。


・仏教が国教なのでお坊さんは尊敬されています。仏教が国教ですが、仏教以外を信じても大丈夫です。


・初雪の日は、役所は休みになります。


・地下資源があることは確認されていますが、掘り起こしません。鉱山の採掘は土地を徹底的に破壊するため、自然環境の保護をうたうブータンとしては、「それはちょっと・・・」です。


・ケータイ電話は国土のだいたいどこでも通じます。山や谷の多いブータンでは電線の敷設はやっかいなことでしたが、無線基地局の設置は比較的容易であったため、ケータイはあっという間に国中に広まりました。もちろんインターネットを使える環境も、国土のすべてではありませんが、あります。


・役人はワイロと無縁です。ブータンは小さな世界で、悪事はすぐ筒抜けになるからです。また、人々は仏教の教えの中で生きていることから、法律上クリアできたとしても、悪いことをしたというのは自分が一番知っている。だから不正は起こりません。


・アメリカなどの大国とは付き合いません。どちらかの陣営のトップである国との付き合いは、そちらの陣営に組み込まれる危険性があるからです。


・外国資本の工場もほんの少ししかありません。ですので、みんな貧しいままで、景気の大きな変動もありません。


・日本やアメリカで勉強して帰ってきた人たちは、「これからこうするべきだ」と、先進国と同じような取り組みをしようといいます。しかし、ある人々は「私たちはもっと注意深く考慮すべきで、急ぐ必要はない」と説いています。なぜかというと、この国の人々は死にそうでもなく、飢えてもいないし、家がないわけでも、土地を持たないわけでもないからです。


・日本に留学した経験からいうと、日本は便利すぎると思います。お金さえあれば何でも手に入る。タクシーでも電車でもエレベーターでもエスカレーターでも、すごくラクで便利です。ブータンも便利になってほしいと思うけど、日本ほどじゃなくて、ブータンなりに少しずつバランスを取りながらでいいと思います。


・たとえ国際社会に私たちの生活が適応していったとしても、ブータンはブータンであり続けます。私たちの話し方で話し、私たちらしく振る舞い、私たちの食べ方で、私たちのやり方で生活を営んでいきます。


・発展はいつでも「もっと、もっと」を欲しがります。GNHでは「あなたには家族がいて、宗教があり、国があり、さらに何が必要なのですか?じゅうぶんを学ぶべきだ」と説きます。もし私がじゅうぶんであれば、ほかの人と分け合うこともできます。



国民の97%が幸福であると感じています(2005年調べ)。




う~ん、書き出してはみたものの、やはり本に書いてあるほどの重み、味わいは伝えきれないですね。



ブータンの国民は幸福を感じているとはいえ、世界の中でみれば金銭、物質的には貧しいことは間違いありません。多くの国から資金援助を受けて、なんとかやっているのが実状のようです。



ブータンの人の外見は、日本人とよく似ています。日本がブータンと同じことをしようというのは現実的ではないとは思いますが、部分的に取り入れられる考え方もあるのではないですかね。毎年3万人も自殺者がいる日本と自殺者ゼロのブータンと、どちらが豊かであると言えるのでしょうか。



先進国は、今後はブータンを見習う時代に入っていくのではないですかね。「一周してきてまたブータンに戻った」、みたいな。



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幸福王国ブータンの智恵


B型人間の本棚


梅棹忠夫 語る

梅棹忠夫(うめさおただお)という人を知っていますか。


日本における文化人類学のパイオニアで、著書に「文明の生態史観」、「知的生産の技術」などがある、京大出の学者さんですが、今年の7月に90歳で老衰で亡くなられました。


私は梅棹さんの本を読んだことはなかったのですが、最近売れている、「梅棹忠夫 語る」という本を最近読みました。


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この本は新書で、小山修三という人との対談形式になっているのですが、ちょっと変わっているのです。


新書なのに、対談のオチの部分が、(こんな感じの)大字になっているのです。


新書でこういう文字の大きさの使い分けをしてる本は初めて見ました。文庫では原田宗典とかのお笑い本で見たことあるけど。


しかも、新書なのに、ときどき爆笑。


とても学者とは思えないような、身も蓋もないぶっちゃけた受け答えに笑わされます。まあこの笑いのツボは人によるかもしれませんが。




以下に、本書の一部を引用させていただきます。大字の部分は、本でも大字になっているものです。


              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


小山 そういえば、専門的なことを書いていて、わからなくなると、むずかしい漢字や言葉を使ってごまかしてしまう。

梅棹 そう、ごまかしや。一番いかんのは、美的にかざることやな。それで、何かいいものができたみたいに思う。スケッチも文章も同じや。

小山 ムダな形容詞が多くなるんですかね?

梅棹 とにかく、文章で一番大事なことは、わかるということ。自分もわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それは、かざってるからや。

小山 かざりは、かっこいいと思っていたけれど、こりゃ、だめだ(笑)



              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


梅棹 どこかでだれかが書いてたんだけど、「梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない」って。それはわたしに言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。

小山 梅棹の発想は、誰の論文に基づいているのかって(笑)。

梅棹 「単なる思いつきです」って言う人はどこにもいない。それでわたしが「悔しかったら思いついてみい」って言ってやるわけ(笑)。

小山 こんな人を相手にして論争は勝てないな(笑)。




              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



小山 かつて盛んだった大学山岳部が衰退した原因の一つにしごきがありましたね。

梅棹 わたしがわからんのは、どうして、登山にしごきがなりたつのか、しごきからは一番遠い世界やと思うんやけど。

小山 しごかれるから、次に入ってきた後輩に復讐するんですかね。しゃにむに登頂を目指したり、アクロバティックな技にはまったりする精神が軍隊式にするんでしょうか。

梅棹 いいリーダーがいないからやろうね。下級生が一番重い荷物を背負って歩いている、後ろからピッケルを持った上級生が歩いている、ちょっと下級生が弱ってくると後ろからピッケルで尻をたたく。わたしら三高山岳部にはそんな気風はなかった。新入生からいきなり、先輩にいっさい敬語を使ってはいけない、「さん」もいかん、全部呼び捨てです。

小山 すごい集団ですね。「団結は鉄よりもかたく、人情は紙よりもうすし」というのが合言葉だと聞いています。




              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



小山 もうひとつ、ずっと気になっている言葉に「宮本武蔵になるな」があります。武蔵は、究極の技を極めた人として、ひとつの理想像だと思うのですが。

梅棹 技を磨くのには反対しない。しかし、剣の道は人殺しの技、そんなことに熱中して、他を顧みないというのは、人間としていささか淋しいのやないか。わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった。




              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



どどど、ど~ですか、この学者らしからぬ自由奔放な受け答え。しかも、これはほんの一部。権威というものがキライというところも素敵でした。


ワタシ的には、(なんでここを大字にしないんだ)という箇所も少なからずありました。


本の中にも出てくるのですが、我田引水というか牽強付会というか、とにかく自分が見たもの、経験したことから、他にはないオリジナリティを持った持論を半ば強引に展開していく力、これが持ち味だったようです。やっぱりこういう人がいないと面白くないですね。


こういうオモロイおっちゃんがいなくなるのは寂しいことであります。合掌。


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  梅棹忠夫 語る


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良寛和尚逸話選

江戸時代の禅僧の良寛は新潟の出雲崎に生まれ、出家後、若い時期は県外で修行しましたが、その後また越後新潟に戻ってきました。


良寛が新潟で過ごした生活圏は私の実家に近いこともあり、とても親近感があります。


さて、最近良寛和尚逸話選 第2版という本を読みました。

            
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良寛は子供と鞠つきをして遊ぶのが好きだったというような話はよく聞きますが、その他にも様々な奇行で知られたそうで、そんな伝説のような話ばっかりを集めたのがこの本。その中から2つだけエピソードのご紹介です。



1.ある茶会にて

 良寛はあるとき茶会に出かけました。

 他の人と横に並んで座っていたのですが、良寛が鼻をほじると、鼻くそが出てきました。

 鼻くそのやり場に困った良寛は、右どなりの人の衣服でぬぐおうとしたのですが、それを右どなりの人に見咎められてしまったので、引っこめました。

 良寛は今度は左どなりの人の服でぬぐおうとしたのですが、これまた左隣の人にも見つかってしまい、ぬぐうことはできませんでした。

 良寛は仕方なく鼻くそを自分の鼻の穴に戻しました。

 戻したら良寛がくしゃみをして、鼻くそはどこかへ飛んでいってしまいました。



2.ある茶会にて(Part2)

 良寛がまたある茶会に呼ばれました。

 その茶会では、1つの碗に入ったお茶を少しずつ飲んで、次のとなりの人に回していくというやり方でした。


 ところがです。


 となりの人から茶碗を受け取った良寛は、残りの茶を全部飲んで口に入れてしまいました。

 全部口に入れてしまったところで、(あれ?)と、良寛はその場のルールに気がつきました。

 良寛は、口に入れた茶を碗に吐いて戻しました。

 良寛の次の席にいた人は、その一部始終を見ていました。

 良寛から茶碗を受け取った人は、困りながらも



 ナムアミダブツ

  
 と言って、お茶をいただいたそうです。





とまあこんな感じで、やっぱり変わった人だったみたいです。


忘れっぽくて、無邪気で、仏道の該博な知識がありながらも日ごろはまったくそういうことを語ることはありませんでした。


しかし、良寛が達筆なのはものすごく有名だったようで、行く先々で看板やらなにやら書を書いてくれ書いてくれと頼まれます。でも、なかなか簡単には書かなかったようです。


良寛が今でも人気なのがよくわかりました。





上記のような、良寛さんのお茶目なエピソードがいっぱい詰まった面白い本はこちら↓

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良寛和尚逸話選 第2版



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「アラブの格言」

9/11を前に、フロリダの教会の牧師がコーラン(イスラム教の聖典)を燃やす燃やさないでもめていましたが、本日はそんなイスラム教とも絡むお話。

最近、「アラブの格言」という本を読みました。アラブ世界に伝わる格言集を、曽野綾子さんが解説しています。



さすがアラブ・イスラム世界の格言だけあって、そこには戦うことを恐れぬ精神、人間のむき出しの姿が鋭利な刃物で突き刺さって来るような言葉が数多く並んでいました。


たとえばこんな感じ。

・一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ。(アラブの格言)

↑↑↑これは、わりと有名なヤツですね。


ほかにも、


・人に食べ物をやる時は、満足するまでやれ。殴る時は、徹底的に殴れ。(アラブ)

・弱いやつの武器に気をつけろ。(中世アラブ)

・蛇を殺す時には、頭をこなごなにしたことを確かめろ。(イラク)

・名声を失うより、片目を失ったほうがいい。(トルコ)

・隣人に弱みを打ち明ければ、斧でばっさりやられる。(アラブ)

・戦争の時に私を訪ねて来ないようなやつは、そうでない時にも歓迎されないぞ。(アラブ)

・死ぬ予感は、死そのものよりも悪い。(アラブ)

・賢さは力に勝る。(オマーン)

・賢い人は見たことを話し、愚か者は聞いたことを話す。(アラブ)

・あなたに何かくれる男がいたら、そいつはすでにおまえから何かをとっているのだ。(マルタ)

・俺の話を聞けよ、しかし信じるな。(アラブ)

・喋るより聞くほうがもっと知的だ。(トルコ)

・もしもあなたがたくさん持っていたら富を与えなさい。あまり持っていなかったら心を与えなさい。(アラブ)

・友達からもらったものなら、石もリンゴ。(アラブ)

・誰かがおまえに好意を持ってくれたなら、彼が黒人でも好意を返してやれ。誰かがおまえを押したなら、たとえ谷底に面した危険な場所でも押し返してやれ。誰かがおまえを侮辱したなら、ムハンマドの直系の子孫であろうと侮辱してやれ。(アラブ)




これらはほんの一部ですが、アラブならではの考え方が出ている一方、他の世界でも通じるような格言もありました。



さて、私がこの本を読んで、一番好きだった格言は以下のもの。



イスラム世界というのは、一夫多妻が認められているというのは、皆さんご存知の通り。



しかし、果たして一夫多妻というのは、世の男にとってはいかなるものであるのか? その大いなる叡智が、格言に端的に表されていました。



・一人の妻しかいない家庭は繁栄する。


 二人の妻の家庭は廃墟だ。




 ほほう、やっぱり妻は一人なのが平和で、二人だと大変なんだな。「廃墟」というのは金銭的・物質的なものか、あるいは精神的なものか、あるいはその両方なのか。まあとにかく二人だと大変なんだろう。


 んで、二人でも大変なのに、三人になったらどうなっちゃうの?




 三人の妻のいる家庭は・・・

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 ズボンを下ろしてウンコしろ。(レバノン)


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へ? ウンコしろ?


ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!



読み間違いじゃないよな?




「三人の妻のいる家庭は、


ズボンを下ろしてウンコしろ。」(レバノン)




間違いなく書いてある!



ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!

ぶわっはっはっは!



レバノン最強!(笑) 三人の嫁に、次から次へとぐちゃぐちゃ文句を言われて、眉毛がハの字になって、トイレに逃げ込んで、脂汗を流しながら



(ウ~ン; ウ~ン;)



と、うなるしかないアラブの父ちゃんの切ない姿が想像されます。
ぶわっはっはっは!



こういうところに強烈な反応をしてしまうと、ワタクシの品性の下劣さ、幼稚さがバレてしまうではないか。



曽野綾子先生、こういう危険なフレーズは、「爆笑コーナー」とかに入れといてもらわないと、電車の中で爆笑しそうになって危険なんで、お願いしますよ。


日本は一夫一妻制でよかった♪



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アラブの格言


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ニーチェの言葉

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私はいろいろホームページやブログをやってるのですが、一番のメインは新潟の海の投げ釣りのページです。


しかし、仕事上の転勤とはいえ、新潟を離れてはや12年目。それでもなお新潟の海への想いは薄れることはありません。我ながらよく続くなあとも思います。


さて、最近読んだ「超訳 ニーチェの言葉」という本に、こんなことが書いてありました。



 ~美しく見る眼をもつ~

    ときには、遠い視野というものが必要かもしれない。

    たとえば、親しい友人らと一緒にいるときよりも、彼らから離れ、独りで友人
   らのことを想うとき、友人らはいっそう美しい。音楽から離れているときに、
   音楽に対して最も愛を感じるように。

    そんなふうに遠くから想うとき、いろいろなことがとても美しく見えてくるの
   だから。


~遠くから振り返れ~

    今まで関り続けて深く知っていると思うものといったん別れ、離れた場所か
   ら振り返ってみよう。すると、何が見えてくるか。

    ずっと住んでいた町から離れ、遠くに立ったとき、町の中心にある塔が家並
   みからどれほど高くそびえていたのかが初めてわかるものだ。それと同じこ
   とが起こるだろう。




そうですね。遠くから想うから、美しいイメージがこんこんと湧き出てくるのかもしれませんね。新潟に住んでいたら、こんなものはきっと作らなかったでしょう。


さて、これはいったいいつまで続くのやら。


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超訳 ニーチェの言葉


B型人間的新潟の投げ釣り  B型人間の本棚

シェル(SHELL)石油の貝のマークの話~ (「ユダヤ商法」より)

メキシコ湾の石油流出事故は、解決までにはまだだいぶ時間がかかりそうですが、一日も早く事態の収拾を図ってもらいたいものです。


さて、今日はそんな石油にちなんだ話をしたいと思います。



ホタテ貝のマークでおなじみのシェル石油(日本では昭和シェル石油)。

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この会社のマークが 「なぜ貝なのか?」という由来をお話ししたいと思います。


かなり長くなってしまいましたが、よろしければおつきあいください。





シェル石油の創始者であるマーカス・サミュエルは、1853年にロンドンのユダヤ人家庭に生まれました。


彼の父親はロンドンの裏通りを、雑貨を積んだ荷車を押して歩く行商人で、マーカスは11人兄弟の10番目の子供。


マーカスは幼い頃から利発でユダヤ人学校へ通っていましたが、学校にはなじみませんでした。


そこで父親はマーカスが19歳のとき、彼を商売の修業のためにアジアへ一人旅をさせることにします。


父親は乏しい収入の中から、息子に船の三等切符を買って与えました。




1872年、マーカスは一人でロンドンを旅立ちます。行き先は彼の裁量に任されていました。


船はインド、シンガポール、フィリピン、タイ、香港、中国と寄港しましたが、マーカスは最後の訪問港である横浜で降ります。


所持金は5ポンド。今のお金の価値でいえば5万円ほど。


当時の日本はまだ開国したばかりで、東京・横浜近辺でも外国人の数は数百人に過ぎなかったでしょう。


マーカスには頼れる身寄りや友人もなく、資金を借りられるような信用があるわけもありません。


19歳の青年にとっては、前途を思うとさぞ心細く、不安な気持ちであったでしょう。




寄る辺もないマーカスは、横浜をあてどもなく歩き回る日々でした。


そしてあるとき、湘南の海にたどり着きます。


つぶれそうな無人小屋にもぐり込んで、初めの数日を過ごしました。


そこで彼が不思議に思ったのは、毎日たくさんの漁師が浜にやってきて、波打ち際で砂を掘っている光景でした。


よく観察していると、彼らは潮が引いたあとの砂の中の貝を獲っていることがわかりました。

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(2010年4月の、横浜の潮干狩りの様子)





マーカスはある日、貝を獲っていた漁師のあとをつけます。


すると、貝は食用に供されていましたが、貝殻は捨てられてしまうことを発見します。


このときマーカスにある発想がひらめきました。




マーカスはほとんどタダで貝殻を集め、ボタンやカフスボタン、子供用のおもちゃのシャベルや玩具を作り始めます。


また、大型の貝殻の内側に漆を塗って飾り物としたり、さまざまな美しい貝を施した細工物や、きれいな貝殻をちりばめた小箱を作りました。


ただ、これらの多くは、当時の日本にすでにあった民芸品を真似たものに過ぎませんでした。





マーカスはこのようにして作った品々を、ロンドンの父親の元へ送ります。


そして父親はこれらの品物を手押し車に乗せて、ロンドンの町を売り歩きました。




しばらくして父親から連絡がきます。


ボタンや子供用のおもちゃや貝の名札は確かに美しい。だが、買い手が見つからない。


しかし、黒い漆塗りの、東洋の異国情緒がこもった小箱はきわめて反応がよかった、と。


その小箱は、ビクトリア調インテリアの居間にあるピアノやコーヒーテーブルの上に置いて、葉巻やタバコ、小物などを収めるのにおあつらえむきだったのです。


やがて、マーカスが遠い日本から送る商品が大当たりしたため、父親は手押し車の引き売りをやめて、東洋からの輸入商品を売る小さな一軒の商店を開きました。そしてその店は、ほどなく大きな専門店に成長しました。

(このあたりの話は創業時の逸話に過ぎず、父親はすでに1833年には店を開業していたとの話もあります)





一方マーカスは23才で、横浜でマーカス・サミュエル商会を創業します。昭和シェル石油HPの会社案内の沿革は、サミュエル商会の設立から始まります(こちらのページ)。


マーカスは日本でさまざまな商品を作ったり買い付けたりして雑貨をイギリスへ輸出していましたが、それだけでは満足しませんでした。マーカスはまったく新しい分野にこそ大きな可能性があると信じていたのです。





当時、世界では新しい燃料である石油時代が幕を開けつつありました。


アメリカではロックフェラーが石油事業に取り組み、ロシアはロシア国内で油田を開発していました。


日本といえば暖房のための燃料として、炭しか使っていませんでした。


マーカスは軽油に関心を向けます。軽油を灯油に加工し、照明・暖房用として日本と中国向けに売ることを思いつきます。


この頃すでに、マーカスは商売でかなりのまとまった資金を蓄えていました。彼は、ロシアから石油を買い付けることにします。


しかし問題がありました。





当時、石油を船で運ぶのには5ガロン缶が使われていましたが、船主たちは船が汚れるので石油を運ぶのを嫌がっていました。船を洗うのに手数と費用がかかったからです。加えて、5ガロン缶を縄で結ばねばならなかったのも手間でした。




そこでマーカスは、船全体が一つの浮かぶ油槽である石油運搬用の専門船をつくることを思いつきます。


彼は造船の専門家を招いて、設計図を作らせたうえで、イギリスの造船所に発注しました。


こうして、世界最初の「石油タンカー」が建造されました。




さて、最初のタンカーが完成するとき、マーカスは船をなんと命名するか?思案しました。


船名の名付けにはルールが一切なく、何でも自由に付けることが可能だったのです。


それなら、青年時代に日本にまでたどり着いて、横浜の海辺に出て貝を拾った自分の商売の黎明期を記念にしようと思いました。


マーカスはタンカーの一号船を、「ミュレックス(アッキ貝)」と命名しましたアッキ貝は日本の海辺で採れる、もっとも代表的な貝でした。


マーカス自身、このことについて、


「自分は貧しいユダヤ少年として、日本の海岸で、一人で貝を拾っていた過去を決して忘れない。あのおかげで、今日億万長者になることができた」


と書き残しています。






第一号船は、恐れられていたように火災が生じることもなく、他の事故を起こすこともなく、全世界を石油を腹いっぱい積んで順調に走り回りました。


こうして、横浜がシェル石油の発祥の地となったのです。


石油に目をつけたマーカスにとって、望外な成功を導き寄せることになったのは、時代が石油を照明や暖房よりも、はるかに多くの用途のために必要とするようになったからです。マーカスには、先見の明がありました。だから新しい時代がマーカスに微笑んだのです。






その後もマーカスは精力的に事業を拡大していきます。


「ミュレックス」が成功したのに励まされて、八隻のタンカーを次々と発注して建造しました。


マーカスの手によって、「石油タンカー産業」が出現したのです。


マーカスは社名を、「ライジング・サン・ペトロリュウム」(日出る石油)会社と改めました。日本が日出る(いづる)国であることからとったものです。


こうして、横浜の海岸を新しい仕事を求めてさまよった孤独なユダヤ人少年が、世界的な大富豪になりました。


ついにマーカスはヨーロッパとアジアの石油市場を制したのです。






ところがです。





マーカスの石油事業が成功すればするほど、イギリス人のあいだから、ユダヤ人が石油産業で君臨していることに反発が高まってきてしまいました。


追いつめられたマーカスは、やむなくオランダとイギリスのコングロマリットに会社を売却する決断をします。


マーカスは、会社を売らなければならなくなったとき、いくつかの条件を出しました。


その一つは、少数株主といえども、必ずマーカスの血をひいた者が、役員として会社に入ること。


そしてもう一つは、発祥の歴史の象徴として、貝殻のマークを永遠に用いなければならない、というものでした。


それで、シェル石油の営業所には、今日でも必ず貝殻のマークが掲げられているのです。


こうして、マーカスが築いた会社は「ロイヤル・ダッチ・シェル」という名前に改められました。


ロイヤル・ダッチ・シェルは2010年の現在、石油業界の売り上げ規模で米エクソンモービルに次ぎ、世界2位の会社となっています。


また、今日でもロイヤル・ダッチ・シェル社のタンカーには、貝の船名がつけられているそうです。





その後、マーカスはイギリスへ戻ると名士として迎えられ、1902年にはロンドン市長になりました。


シェル石油の貝のマークには、このような由来があるそうです。




シェル石油の貝のマークを見たら、たまには思い出してください。

PA0_0507.jpg


この貝は、貧しくも冒険心にあふれたイギリスの若者が、青春の日に湘南の海で拾った貝が由来であるということを。



                  シェル(SHELL)石油の貝のマークの話-END  


   ~参考文献~

yudayasyouhou1.jpg
   ユダヤ商法


                       
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「後世への最大遺物・デンマルク国の話」

ワールドカップがもうすぐ始まりますね。我が日本代表は、直近の試合ではふがいない結果で気をもませますが、本番での奮起を期待したいところであります。


さて、日本は予選リーグではデンマークと対戦することになっているはずですが、先日会社帰りに古本屋に立ち寄ったところ、こんな本がありました。


PA0_0507d.jpg


内村鑑三の「後世への最大遺物・デンマルク国の話」という本。


薄っぺらい本で、サクっと読めそうなので買ってきました。


「後世への最大遺物」と「デンマルク国の話」という2つの話が入っています。デンマルクとはデンマークのこと。


明治27年の著者の講演をまとめたもので、話し言葉で書いてあるので、岩波ですがとっても読みやすいです。




「デンマルク国の話」もなかなかよかったのだけれども、「後世への最大遺物」のほうはさらによかったなぁ。



「後世への最大遺物」の一部を引用します。


「私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。

すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。

ドウゾ私は死んでから天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで何も必ずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである」




うーん、クロちゃんならきっとこの感じ、わかっていただけると思うのですが。



著者が言うには、人が後世に遺すことができる有益なものは3つ。


1.お金  2.事業  3.思想


なんだそうです。


しかし、多くの人々にとって有益となるほどの、これら3つのうちの何がしかを遺すということは、普通の人にはなかなかできることではありません。


しかしながら、これら3つのことよりも、更にもっと大きなもので、しかも誰にでも遺すことができる「最大遺物」があるとも著者は書いています。


その、平凡な我々にも遺すことができて、利益ばかりあって害のない後世への「最大遺物」とは・・・。


よかったら読んでみてください。


        denmark.jpg
後世への最大遺物・デンマルク国の話/内村鑑三


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